誠抄
第 19 回

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こぬか雨
(十) 雨 あ が り


                                    1  ▼


─── 時は、大政奉還を迎えている。十一月になって、和弥は思い掛けぬ人物を見た。
   斎藤一が、両刀を隊士に預けて屯所の裏庭を横切っている。
和弥   さ、斎藤先生。
─── 和弥たち三番隊士はあぜんとした。斎藤はちらっとこちらを見て笑った。
隊士1  なんだって、今頃……御陵衛士に走った斎藤先生が戻ってきたんだ。
隊士2  ああ。いまさら、こちらに帰参を願ったところで受け入れられるはずがない。
和弥   斬られる、というのか。
隊士1  よくて切腹……悪くて斬首だろ。
和弥   ………。



─── 屯所の一室では、土方と斎藤が対面している。
土方   ご苦労だった。これで先手が打てる。
斎藤   二度と、こういう役目はごめんですな。
土方   じきにカタがつくさ。
斎藤   ………。



─── 斎藤が新選組に戻って数日後、本屋の二階。和弥と征一郎は、つい先ごろに起き
   た事件について、世間ばなしの合間に語っている。
征一郎  世上、新選組のしわざだという評判だが……。
和弥   知らんな。
征一郎  ふむ。土佐の坂本と中岡を仕留めたとすれば、隊士のおぬしたちが知らぬはず
     はないな。
和弥   ああ。近藤局長は近頃、土佐の後藤象二郎と懇意にしている。今になって、坂
     本を斬る理由がない。
征一郎  どのみち海援隊、陸援隊の両隊長が死んだとなると……あそこはもう駄目だろ
     うな。
和弥   海援隊に入りたかったんじゃないのか。
征一郎  そうも思った。確かに、坂本龍馬は巨人だ。しかし、だからこそ坂本にとって
     代わる者がいない。
和弥   ふむ。まあ……俺たちは人のことどころじゃない。
─── 和弥は刀をさして立ち上がった。
征一郎  もう行くのか。
和弥   ああ。今夜、大がかりな出動がある。
征一郎  また斬り合いか。
和弥   新選組は、斬るのが仕事だ。



─── その夜は、油小路で伊東派の御陵衛士たちと凄惨な死闘があった。頭領の伊東は
   近藤、土方らに招かれ酒席に出た後、酔って一人歩きをしていたところを襲撃され
   即死。路上の伊東を引き取りに来た御陵衛士のうち、藤堂平助ら三名が待ち受けた
   新選組の手勢によって斬殺された。
和弥   ………。
─── 和弥はその現場に立っている。寒々とした思いで、月下の四遺体を見た。
隊士1  (小声で)勝つには勝ったが……後味が悪いな。だまし討ちじゃないか。
隊士2  ああ。斎藤先生が間者だったとは驚いたさ。
─── 隊士2、声に侮蔑の響きがある。
和弥   よせよ。
隊士2  和弥。
和弥   戦いの前に、敵の動きを探るのは当然じゃないか。
隊士1  何を怒ってるんだ。
和弥   別に。
─── 和弥の胸に、わずかにわりきれぬ思いが残っている。



─── その後ほどなくして、斎藤一は前職に復帰した。ふと和弥の前に現れる斎藤。
和弥   斎藤先生……。
斎藤   君の言いたいことはわかっているよ。
和弥   ………。
斎藤   さげすんでくれても、けっこうだ。それだけのことをしたのだからな。
和弥   いや。お察しします。
斎藤   ふ……。




                                    2 ▼ ▲


─── 慶応三年十二月。京の幕府機関は解体し、新選組もやがて、屯所を引き上げる日
   がやってきた。来たるべき戦のためでもある。征一郎が見送りの面会に来ている。
征一郎  本当に行くらしいな。
和弥   当たり前じゃないか。
征一郎  薫乃どのには会ったか。
和弥   いや。あの人とは、おそらくもう会えまい。だが、それでいい。
征一郎  そうか。
和弥   どうかしたのか。
征一郎  いや。
和弥   言っておけ。また、何か俺の知らぬことを知っているんだろう。
征一郎  ……国元で、政変が起きたらしい。
和弥   政変?
征一郎  今まで、若い連中を押さえ込んできた穏健派と呼ばれる幕府よりの重臣たちが
     大政奉還を受けて総辞職したそうだ。藩の要職は、すべて急進派に衣替えした
     というぜ。
和弥   辞職……家老の木暮市右衛門どのもか。
征一郎  むろんだ。あの人はかつて、急進派の暴発を察知して、首謀者をことごとく牢
     に送ったといわれる人物だからな。
和弥   ………。
征一郎  藩は、この次の戦で天朝方につくだろう。
和弥   ……そうか。
征一郎  江戸では……殿の用人をしていた西条源吾が、政変の責を負って腹を切ったら
     しい。
和弥   西条が!?
征一郎  ああ。西条は時世にうとい人物ではないが、殿のご意向を受けて穏健派の政治
     を支えてきた。しかしそのご意向を曲げて、反幕勢力が政権を握ることになっ
     たからには、誰かが身をもって詫びねばなるまい。
─── 和弥の脳裏に、あの男ならば、という姿が浮かんだ。少しの間をおいて、
和弥   木暮殿も、西条源吾も失脚したとすると……薫乃どのは。
征一郎  わからぬ。だから、お前に便りはなかったかと思ったのだ。
和弥   ………。
─── 和弥は青くなった。薫乃も、父や西条の意思に従って情報活動の一端を請け負っ
   ていたからには、苦しい立場に立たされるだろう。
薫乃   (回想)私も……古い世の人々と共に、殉ずるさだめとなりましょう。
和弥   あの人は……死ぬかもしれん。
征一郎  まさか。
和弥   いや……。
征一郎  お前とよりを戻したんだろう。惚れた男がまだ生きているというのに、死ぬも
     んか。
和弥   わからん。あの人は……俺にもつかみきれぬところのある女だ。
征一郎  ……出陣前に、よけいなことを言った。許せ。
和弥   いや。かえって……覚悟が出来た。
征一郎  死ぬなよ。みっともなくてもいいから、生きて戻れ。俺は待っている。
和弥   ………。
─── 和弥は微笑した。その日、新選組は伏見へ移動した。



─── 後日、伏見奉行所。新選組はこの頃、暗殺未遂で銃創を負った近藤勇に代わり、
   副長土方歳三の指揮下に入って開戦に備えている。和弥は斎藤のそばに来た。
和弥   斎藤……いや、山口先生。
斎藤   どっちでもいいさ。
─── 先日まで伊東甲子太郎の御陵衛士に間者として潜入していた斎藤一は、残党の報
   復をかわすためもあって、山口二郎と改名している。武装のまま、腕や足を動かし
   ていた。
和弥   いよいよ……ですね。
斎藤   君達はともかく、俺は体がなまっている。半年以上も、ぶらぶらしていたから
     な。
和弥   あの時は偉そうに意見などして……申し訳ありませんでした。
斎藤   嫌な役回りだったさ。
─── 斎藤は苦い顔をした。
斎藤   監察の山崎君ほどの熟練ならともかく、俺には内偵の仕事など向いていない。
     刀を持って修羅場に飛び込んでいくほうが、よほど気楽だよ。
─── 斎藤は、武具の音をさせて立ち去った。
和弥   (薫乃も……その嫌な役目を背負ったのだ。)
─── 和弥は、ふと薫乃の泣き顔を思い出した。
和弥   (俺といる時だけが……薫乃が生身の女に戻れるわずかな時間だったのかもし
     れん。あの人は、誰にも弱い自分を見せぬために気をはりつめて暮らしていた
     んだろう。おそらく、木暮家の人々も、西条源吾でさえも……最後まで薫乃の
     素顔を知らないままだったのではないか。)
─── 和弥はふと、声に出した。
和弥   だった……
─── 思わず口もとをおさえた。
和弥   (俺は、すでに……薫乃がこの世に亡いと思っているのか。)




                                    3 ▼ ▲


─── 明けて、慶応四年、戊辰正月三日。旧幕府軍対、薩長率いる官軍との、雌雄を決
   する「鳥羽伏見の戦い」が開戦した。和弥は斎藤のすぐ後ろについて、昼夜、すさ
   まじい戦塵の中をかけめぐった。
和弥   うおおっ。
─── 敵兵は、もっぱら銃砲である。しかし刀槍部隊の新選組は、肉弾戦とでもいうべ
   き突撃を試みるより他なかった。刻々と戦況は不利になっていく。
和弥   (この戦は負ける。俺も、薫乃も、西条も……時勢の波に飲まれて死ぬのだ。
     しかし、おのれに恥じる死に方はせぬ。)
─── 和弥は、堡塁を乗り越え、飛び越えて敵兵の姿を求め,倒してはまた走った。す
   でに、多くの友軍が死体となって転がっている。
和弥   (一人でも多く斬ってやる。)
─── 激戦中の一瞬に、和弥は一人、無謀ともいえる姿勢で飛び出した。
斎藤   小木っ、よせっ!!
─── 斎藤の声を聞いたような気がした。それっきり、和弥は身体中に何か熱いものを
   浴びた衝撃を覚えて、気を失った。



─── 和弥は、夢の中をさまよっている。
和弥   (波の音……。)
─── かすかに、波の音が聞こえる。しかし、体がしびれたように動かない。
和弥   (血の匂いがする。俺は……死んだのか。)
─── 人の声は聞こえない。光も感じなかった。
和弥   (暗い。あの水音は……三途の川というやつかな。)
─── 和弥は、ふとかすかな声を出した。
和弥   ……さむい……。
─── ぼんやりと、幻影を見た。見た、というより感じた。白くてやわらかなものが、
   和弥の胸にぴたりと密着し、その感覚はやがてぼんやりと温かくひろがっていった。



─── 和弥は目を覚ました。がらんとして暗い空間に横たわっている。
土方   気がついたか。
和弥   ここ、は……。
土方   おや、ものが言えるのか。
─── 蝋燭が一本立っている。和弥は、土方がその明かりをつけたことで意識を取り戻
   したらしい。その一ヶ所を除いては、光の入る場所はなかった。ようやく、そばに
   いるのが新選組の副長であるということを理解するまでにも、少し時間がかかった。
和弥   私は……どうして……。
土方   淀堤で、銃火を浴びて倒れたのだ。ここは大坂の、西海屋という材木問屋の土
     蔵だよ。
和弥   なぜ、私一人……。
土方   他の者は、別の場所で手当てを受けている。君は気を失って、死体同様に地面
     に倒れていたところを、誰か見知らぬ者が拾って運んでくれたらしい。運がよ
     かったな。
和弥   誰です……よけいなことをしてくれたのは。
土方   俺も知らん。脇差し一本をさして、尻っぱしょりをした若い男だったそうだ。
     背が高く、色が浅黒く……なかなかの男前だったとか。
和弥   ………。
土方   三番隊の一人が、京の五条橋の上で見たことのある顔だった、と言ったぞ。
和弥   あっ。
─── 和弥は驚いた。まさに、大郷征一郎ではないか。
和弥   そ……その男は、どこに。
土方   わからぬ。君を助けてみると、「隊に戻る、新選組に戻る」とうわごとを繰り
     返すので、とにかく小舟に乗せて大坂まで運んで来たらしい。その後、我々も
     陣中でごった返しているうちに、消えてしまった。
和弥   ………。
─── 和弥は、目頭が熱くなった。
和弥   (あいつ……戦場で、俺を探し歩いてくれたのか。)
─── 戦など馬鹿馬鹿しい、と言っていた征一郎が、捨て身で戦地にもぐり込み、自分
   の骨を拾ってくれようとしたに違いない。
和弥   (しかも……俺の意思をくんで、新選組に戻してくれた。)
─── 土方は、和弥の顔を覗き込んでいる。
和弥   (気を取り直して)戦は……どうなったのですか。
土方   負けさ。何しろ、総大将の慶喜公が、真っ先に軍艦で逃げ出したのだからな。
和弥   (驚く)そんな馬鹿な。
土方   関東で出直しだ。小木君。我々は明日、船で江戸へ行く。
和弥   えっ。
─── 和弥は、無理に起き上がろうとした。全身に、電流のような激痛が走った。
和弥   うっ。
土方   よせ。生きているのが不思議なほどの深手だぞ。
和弥   わ、私も……お連れ下さい。
土方   その足でか。
和弥   足?
土方   わからんか。君には、右の足がない。
和弥   えっ……。
土方   砲弾に砕かれたのだ。その他にも、体の数ヶ所に破片の傷を受けている。
和弥   足が……ない……。
土方   切り落とさねば膿んで助からぬ、と言われた。斎藤君や、他の隊士たちが押さ
     えつけて足首を落とした。覚えておらんのか。
和弥   何も……。
土方   それは、不幸中の幸いだな。さすがの君も大声で叫んだほどだ。
和弥   ………。
─── 和弥は呆然としている。片足になっては、戦場に復帰することはできない。
土方   小木君。俺は昨夜初めて、女の刺客に狙われたよ。
和弥   ……え?
土方   しかも、その女……すでにこの世にいない幽霊らしい。
和弥   ……幽霊……?
─── 和弥には、土方の言葉の意味がわからない。土方は、ふと微笑した。
土方   その幽霊、夜道で背後からしのび寄って来た。不意に、懐剣を抜いてこう、俺
     の背につきつけて言ったものさ。「新選組副長、土方歳三どのでいらっしゃい
     ますね。」と。
和弥   ええ。
土方   俺がそうだ、と答えると……新選組は江戸へ発つと聞いている。負傷したもの
     も連れていくのかと言う。当然だ、と言うと……一人、瀕死の小木和弥という
     隊士がいるはずだ。その男だけは置いていけと。
和弥   え?
土方   この俺を脅迫しやがった。その男を渡さなければ、今あなたを刺す、と。
和弥   ………。



─── 回想。土方は、懐剣の刃を背につけられたまま、
土方   お女中。俺がこわくはないのか。
女    生きている身なれば、恐れもいたしましょう。しかし、私は……京屋敷にて自
     害して果て、すでにこの世にない女でございます。こわいものなどございませ
     ぬ。
土方   ほう。すると、幽霊が迷って出たか。
女    はい。
土方   小木をどうする。あれは……助からぬかもしれんぞ。
女    一生に一人の男と定めて契りを結んだお方でございます。せめて、黄泉の旅な
     りとご一緒に参ります。もう、あの方を誰にも渡しませぬ。
土方   ………。
─── 土方はゆっくりと振り返って、女の顔を見た。



─── 和弥は、唇を震わせている。
和弥   薫乃……。
土方   どのみち、その大怪我で船旅は無理だ。また治ったとしても今後の戦力として
     使いものになるまい。君の気性では、同志の厄介者扱いに耐えきれず自ら死を
     選ぶのが落ちだろう。つまり……わざわざ連れて行っても無駄だな。
和弥   土方先生。
土方   俺は、隊に戻る。戦死した隊士一人に、関わっている暇はねえからな。
和弥   えっ。
土方   新選組の、小木和弥は死んだ。そうだな、小郷和之助。
和弥   ………。
土方   幽霊どうし、仲良くやれ。
─── 土方はにやっと笑った。
和弥   せ、先生……。
─── 和弥は腕を延ばした。土方はちょっと照れくさそうにその手を握った。
和弥   あ……ありがとう、ございました……。



─── 土方が出ていくと、土蔵の二階は再び暗くなった。暫くして、明かり取りの小窓
   が開けられ、和弥はまた眠りから覚めている。温かい指が頬に触れてきた。
薫乃   和之助様……。
和弥   薫乃。
─── 薫乃は、薄明かりの中で微笑している。
和弥   死んだと……思っていた。
薫乃   ええ。木暮市右衛門の娘、奥女中の薫乃は……政争に破れて自害した、との知
     らせが国元へ立ちました。もう、帰るところもございませぬ。
和弥   なぜ、こんなところへ……。
薫乃   生きろとおっしゃったではありませぬか。一人の女として、したたかに生き延
     びろ、と……。
和弥   ………。
薫乃   私も……あなたに同じことを言うために来たのです。あの日、あなたは「もと
     の小郷和之助に戻る」とおっしゃいました。戻って……ご一緒に生きて下さい
     ませ。
─── 薫乃は、こらえきれなくなって和弥の顔に頬をひたと寄せた。泣いている。
薫乃   もう、離れませぬ。
和弥   俺も……離さん。
─── 和弥は薫乃のやわらかな背を撫でている。二人は長いこと、そうして体を寄せあ
   っていた。




                                     4 ▼ ▲


─── 春。和弥、いや元の小郷和之助は、不自由な体を薫乃に支えられて、少しずつ外
   を歩く練習を始めていた。
和之助  征一郎は……どうしたのだろう。唐突に出たり消えたりする奴だな。
薫乃   ええ。あの方が私のところに現れた時は、驚きました。



─── 回想。戦塵ですすけた顔をした征一郎は屋敷の裏口へ薫乃を強引に呼び出し、
征一郎  すぐに、この屋敷を捨てて大坂へお行きなさい。おおかた、くそまじめに自害
     でもなさるつもりでしょうが、もってのほかです。
薫乃   ………。
征一郎  くそまじめに死に急いでいる馬鹿がもう一人いる。あいつをこの世に引き戻せ
     るのはあなただけだ。
─── 薫乃はその言葉を聞いて、膝の力が抜けたようにかがみこんだ。



─── 再び、和之助と薫乃。
和之助  しかし……またふらりと旅に出るとは思わなかった。
薫乃   大郷様は、「夫婦養子の件、あれは和之助に譲る」とおっしゃいましたが……
     何のことだったのでございましょう。
和之助  ああ……。
─── 和之助は息を切らしながら、笑いをもらした。
薫乃   「俺は本を売るより、人が読むものを書いてみたい」ともおっしゃっておられ
     ました。神戸や横浜には……新聞、という外国人のための瓦版があるそうでご
     ざいますね。いずれ日本にもその新聞を書く専門の職が出来る、その仕事を学
     んでみたい、と。
和之助  早耳の征一郎なら、出来るかもしれぬ。
薫乃   はい。
─── 和之助は立ち止まった。
和之助  あいつは……なぜ京へ来たのかな。
薫乃   それは、親友のあなたを追って来られたのではございませんか。
和之助  いや……。妙なことを思い出した。
─── 和之助は、再会した日の征一郎を思い出している。
征一郎  (回想)薫乃どのは、京にいるらしい。俺が放浪に出る前に聞いた噂だ。
和之助  (ひょっとしたら……)
─── 和之助は思わず、薫乃の顔を見た。薫乃は不思議そうに、
薫乃   妙なこと、とは?
和之助  ……内緒、だ。
薫乃   まあ……ずるい。(くすくす笑っている)
和之助  そのうちに話す。時間はたっぷりある。
薫乃   ええ。
─── 黙って、少し歩いた。
和之助  (あいつはまた、いつかひょっこりと現れるだろう。その時に……その通り、
     お前にとられたのだ、と悔しがるだろうか。それとも、そんなことはないと言
     って笑うだろうか。)
─── いずれにせよ、それぞれの新しい道が始まったようだと思った。
和之助  薫乃。
薫乃   はい。
和之助  小さな本屋の夫婦も、そう悪くない。
薫乃   え?
─── 薫乃は、まぶしそうな顔をした。昨夜来の雨が上がって、日の光が雲間を照らし
   はじめている。


                                    (了)

                                    5 ▲

       

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