一 貫 |
俺の誠とは何か? 夕闇の高瀬の流れを目に映して 彼はひとりで考えた 昨日まで同じ釜の飯を食った 仲間の非違を上告する その結果、西本願寺の砂の上に おびただしい血を流し 或いは腸を見せ 或いは縄目を打たれて 首を落とされる者がある 或いは死に至らずとも 謹慎となって足止めをくらうか 譴責をくらって要職からはずされる者がいる 生死いずれにしても 処罰を受ける者、その周辺の者の心は 傷つかざるを得ない 彼等には心を許すな、という不文律が 隊中に生まれてくるのはやむを得まい 中には、同じ役目にあっても それほど職に忠実ではないものもいる 目をこぼせる範囲ならこぼしてやろうと それはそうだろう 無用に人の恨みを買えば いつしか白刃は己の体を刺すかもしれないのだ 求めているのは自分の地位では決してない 彼はそうも考えた 号令一下、それっと剣をふりかざして 斬り込みに行くほうが、功名には近かろう 賞賛も受けやすかろう こんな短気な自分が、なぜに目付役で公用役なのだ 時折苦笑することもある 反面、流石な布石だと思うこともある 胃の焼けつくような思いでこらえた事は何度もある 我が身一つ、と思えば、抜刀して駆け出していただろう その一歩を踏みとどまって 頭を使う、我慢する、事を覚えたのはこの仕事のおかげだ 我が身一つではすまされぬことなのだ 俺が死んですむ話ならこんな気楽なことはない 冗談抜きで、そう思った しかし、慣れた 今は重荷とは考えない 誰かがやらなければならない 物事には表裏があり 表だけ飾っていればよいというものではない 裏は裏、にいくつもの妙味がある そして、適していると思われることの誇り 任せる、という言葉への喜び 他に誰あらん、という自負 人から見ればそんな些細なものの集積が 或いは俺の誠か? 人の誠、はおのが中に燃えていればよい 信念、とは他人に見せるべからざるもの 幸いに、信を置いて使ってくれる長がある 人が働くうえでは、之、希有の幸也 と、 やや癖になった書き言葉調で、彼は考えた そうだ、俺の誠は、俺の内にあればよいのだ 斬り合いで得た傷ではなくとも 後ろ傷は決して作るまい 自らに恥じぬ身であればそれでよい 栄達や安泰はその一時の事 天も地も、時には人も、 知ることはあろうよ、と 彼はそこまで考えてから、 小石を水の流れに放った 至誠一貫、という文字が好きで、 それゆえに今の変名はなかなかに気にいっている 今宵はひとりで灘の酒でも飲み 一晩考え尽くしてから 朝の光の中で告げよう もはやこの者の罪科は明らか、と そしてわが口から発せられた言葉が 旧知の絶命を招くことになろうと そうだ それが終わったら国許の友に飛脚でもたてようか 文に添える京土産は何がよいだろう 暑い時期だから薄い油とり紙などもよかろうか お内儀には京紅がよかろうか そんなことを思い浮かべるうちに辺りは暮れて 気の早い鈴虫の声がどこからか聞こえてくるようだった *・*・*新選組監察 吉村貫一郎を想定*・*・* |