花と背の君 |
|
去年の春には 子どもらが遊ぶ 鹿の園のほとりで あなたは愛馬をつなぎ停め ゆうゆうとして 私の目の前に立ち 満開の桜の木を眺めながら 広い背中を見せていました 愛し合う二人の昼さがり 用事の途中 時間にしてみればほんのわずかなお花見 でも私は その桜の太い幹や 艶やかにくねる枝ぶりと はらはらと雪にも似て舞う花びらの 清げな美しさとともに 貴方という男の背から輝くいのちのまぶしさに うっとりと時を忘れて みとれていました どんな名所の花見より あのひとときが忘れられず 今年の桜は咲いたけれど 貴方はいま 別の女と暮らしています お金のために 仕事のために いたくもないのに いさせられている女だというけれど 貴方の好みにそうわけでもなく くだらない高慢で横暴なわがまま女だと 私もその人のことを思うけれど 貴方ほどの人がそんなものに転んで 神仏にも誓った私を捨てて 逃げていらっしゃるなんて 罰があたるのではと心配です 私と二人では 一泊の旅もかなえなかった貴方が 毎日気詰まりな女と暮らしていられるなんて 不思議なものだと感じます 桜の花びらの一枚一枚が もしも見る間に銭に変わったら 私はそれをかき集めて握りしめ 貴方の部屋に行って さあこれで好きにしてみなさいと 叩きつけてきてやりたい気持ちです せめて失った子を返してと罵りたい気持ちです 私に女の最も甘美な喜びを与えた貴方が 同時に女の最も醜い苦しみを与えたのです でもこんなさびしい愛ですら 私にはかけがえがなかったのです 桜の花が咲いて散るごとに 貴方の熱い力に満ちた あの雄々しい後姿は 目に焼き付けられて離れはしないでしょう 私を抱き 私が抱いた貴方 毎年の桜の花びらは 愛の夢をかきたてて降りつもることでしょう いとしくて憎い貴方の 部屋の窓からも むざんな雨だれに 濡れた桜が見えているのでしょうね ああ 気の毒な貴方 思いのままにならぬ貴方 ひとりで苦しみの中へ埋もれてゆく貴方よ せめてお健やかに 貴方が生きるためならば 私は意地でも 笑いながら散ってゆきましょう 春の宵闇の中で 泣き濡れて眠られずとも |
![]() わすらるる 身をば思わず 誓ひてし 人のいのちの をしくもあるかな (右近) 花のいろは うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに (小野小町) |
写真提供・幕末維新新選組副長土方歳三 様