松岡磐吉
まつおか ばんきち

幕臣
 
伊豆韮山代官、江川英竜(太郎左衛門)の筆頭手代、松岡正平の次男として生
 
まれる。名は磐吉。はじめ英竜の小姓として蘭学砲術を学び、また、剣術は
 
練兵館で免許皆伝となる。
 
安政2年6月、鉄砲方付手代見習となり、3年5月には手代に進み、実兄の
 
柴弘吉と第二回長崎伝習生に選ばれる。
 
安政5年5月、伝習所を卒業した松岡は鵬翔丸で江戸へ向かい帰府後、軍艦
 
操練所教授方出役となった。万延元年、遣欧使節随伴艦の咸臨丸に教授方、
 
測量方として乗り込み、文久元年12月から翌年3月まで幕府の小笠原島再
 
開拓に兄と共に軍艦組として乗り込んで従事した。
 
慶応2年10月、軍艦役勤方、軍艦役を経て、慶応4年正月軍艦頭並になる。
 
明治元年8月、榎本武揚が旧幕艦隊を率い品川沖脱出に際し、松岡は蟠竜艦
 
の艦長として随行し、11月、松前城福島沿岸を砲撃した。
 
明治2年3月、榎本軍の回天艦が、政府軍の甲鉄艦を宮古湾に襲撃したとき
 
蟠竜は難風にあい、奇襲に参加できず帰箱した。
 
新政府軍総攻撃が行われた5月11日早朝、巧みに動き、砲手永倉伊佐吉の
 
発した砲弾が新政府艦朝陽艦硝庫に命中し朝陽丸を轟沈させる。その後交戦
 
を続けるが船体は砕け機関も用をなさなくなり、座礁したため火を放ち、松
 
岡らは弁天崎砲台に入る。五稜郭の壊落により、松岡は永井らと共に降伏し
 
同年6月榎本ら六人と東京に送られ、竜の口軍務局糾問所の取調を受け投獄
 
され、糾問中の明治4年獄死した。
 
 
 

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