かくれ鬼

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「土方さん、私が殺りましょうか?」
淡々と話す総司に頼もしく思える歳三であった。

元治元年六月の有名な池田屋事変も一息の月に
脱走事件が、歳三らに知れ渡った。
流石に幹部は落ちついたものである。

「うむ。総司、お前が追手に向かうかね?」
眼を見つめて一点の曇りも無いのを確認した。
先程まで床に伏せっていた輩とは思えない気迫である。
総司は池田屋事変の際に暑気あたりしたのである。

「ははは、嫌だな、見つめるとテレてしまう。」
歳三の心配の眼差しを避けるように冗談で交わすと
勇に向かい、嘆願する。歳三は苦笑しながら
「近藤さん、総司に行かせよう。よいですね。」
「うむ。任せる。」
勇は鷹揚にうなずいて、また膳部の漬物に箸を戻した。
大きな口の中で小気味良く茄子の砕けてゆく音がしている。
(いつもながら……)
脱走者の報告に来て、廊下で三人の応答を聞いていた山崎は、
ちょっと肩をすぼめた。もう驚いてはいないが、
(朝飯を食いながら、ようこんな話がでけるもんやな。)
まるで隣の猫が台所のメザシをさらっていった、というほどの
日常の会話と変わりない風景なのである。
(逃げているほうはそれこそ飯ものどを通らんと、追手を
恐れているやろに。)
ふと何ともいえぬおかしさがこみあげそうになったが、
「山崎君、総司を案内してくれ。」
歳三の声に、山崎ははっと顔を上げてうなずいた。
「は。」
その声を合図に、総司が立ちあがった。
「やれやれ、お茶を飲む暇もありゃしない。」
言いながら、総司は山崎の方へ顔を向けた。
「行きましょうか。」

総司と山崎が屯所の門をぶらりと出ると、近所の子供らが見かけて、
雀がさえずるように口々に声をかけながら走り寄ってきた。
「沖田はんのにいちゃん!」
総司は手を上げて気軽に、やあ、と言った。女の子の一人が、
「風邪ひいてはったんと違うの?ずっと寝てはる言うてた。」
と、小首をかしげてきいてくる。
「ああ。もうよくなったよ。ありがとう」
総司はいつもと変わらぬ口ぶりで答えている。
「ほな、高鬼して遊ぼう。」
もう一人、これは小さい男の子が、いつのまにか総司の袴を嬉しそうに
つかんでいる。
「いや、ごめんよ。これからこの山崎のおじさんの用事で、
出かけなくちゃいけないんだ。」
そばで山崎がぼそりとつぶやいた。
「おじさん……」
山崎は少し憮然となった。
(沖田はんの兄ちゃんで、俺はおじさんか。)
「なーんや、つまらん。」
子供らが不服そうに、山崎を横目でにらんでいる。
まるで人気者の総司をさらっていくようでばつが悪い。
「ほな、帰ってきたら、しような」
女の子が言うと、総司はうなずいて、
「うん。なるべく早くすませてくるよ。そうしたらまた遊ぼう」
と、にこにこ笑っている。山崎はあきれて総司の顔を見た。
これが、これから人を斬りに行く男の顔だろうかと思った。
「沖田さん」
「ああ、すみません。」
子供らと別れて歩き出すと、後ろからすかさず、ガキ大将とも
いうような少年が、
「沖田はん、夏風邪ひくのはアホやておかはんが言うてたで。」
と、総司の背中に大声を浴びせてきた。
「こらっ。」
総司が振り返って拳を上げるふりをすると、子供らは一斉に笑っている。
「まいったなあ」
総司は頭をかいて、山崎に「ね、」というように目を向けた。
  この人にはかなわんなあ・・・と心で思いながら山崎は
「ははは、子供は面白い事を言いますね、馬鹿ですか・・・・」
悪戯っぽい視線を向けながら答え、先程の「おじさん」
に少しだけ復讐してみた。
「あ、山崎さんまで。ひどいなあ」
からからと笑いながら総司は振り向いて子供たちに別れを告げた。
「土方さんに今度遊んでもらいな、本当の鬼ごっこができるよ、
あははは。じゃあね。」
「えーいややー」
「沖田はんがいい」大きく手を振りながらコロコロとはしゃぐ
子供たちに背中を向けた。
「行きましょうか・・・」と山崎は夏のすんだ青空に目をやりながら
うながした。

夏の日差しが容赦なく照り付ける。京の夏は暑さが重い。
じっとりと滲んだ汗を拭いながら京の小路を二人は進んだ。
総司の額にも汗が滲んでいた。呼吸も少しだけ荒い。
  山崎は、出身が医家のほうだから、このところの総司の不調が
どんな種類の病から来るものか、何となく察しがついている。
当時、不治、すなわち命を落とすもとの病といえば、三つの子供でも
真っ先にその名をあげるだろう。親類縁者の一人や二人、それで失って
いないほうが珍しいくらい、世に広く蔓延している病名だった。
 山崎はまた総司の横顔を何気なく見やって、自分の推察に念を押した。
(まず、労咳やな。)
これにかかってしまえば、長くは生きられないのが事実である。
といって、山崎にはそれほどの感傷はない。
 新選組に籍を置いた以上、個人の生命はいつ絶たれても不思議のない
ものなのだ。
 現に、これから総司と山崎がそれを絶ちにいこうとしている、
四番隊の佐倉七郎という平隊士も、つい昨日まではごく日常の、
生命の営みの中にいた。脱走などという事態を思い立たなければ、
今日も明日も、生き続けている確率は高かったのだが。
 無駄なことをする、と山崎はその男のことを思う。佐倉はこの春頃に
入隊したばかりで、小太刀の技に少し長じている、という以外に、
これといった特徴も働きもない、平々凡々として目立たない男だ。
 池田屋事件の時は、故意か偶然か知らず、暑気当たりのひどい下痢と
申し出て、屯所に残留したうちの一人である。当然、恩賞だの手柄話の輪にも
加わることはできず、このところ肩身のせまい側の一人、と言い換えてもいい。
池田屋以来いっそう目立たなくなったという印象で、横にいる沖田総司などは、
恐らく佐倉と口もきいたことがないのではあるまいか。
「山崎さん」
ふと、総司がこちらへ顔を向けた。
「はい。」
「向こうには、誰がいるんですか?」
「は。監察の吉村君と、隊で使っている目明しが数名、潜伏先の借家を
見張っています。」
「そうじゃなくて」
総司は、質問の意図が伝わらなかったことに、ちょっとすまない、
という顔をして続けた。
「その中のほうですよ」
「ああ、」
山崎は気がついて、なるべく淡々と答えを返した。
「三十ばかりの、女やもめが一人です。」
「ふうん」
と、総司は、今度は本当にすまなさそうな顔をした。
「後家さんですか」
「いや。離縁です。といっても……」
山崎は言葉を選んで、
「一人になった、つまり亭主から去り状をもらったのは、
この半月ほど前のようですな」
「ははあ……」
総司は物の理解が早い若者だが、反面、男女の機微といった
話題がもっとも苦手である。
「そう、佐倉君の脱走は、つまりそのあたりの事情が原因でしょう」
山崎が先を制する形で言った。女がらみの話が苦手なのは、こわもての
山崎も同じようなものだが、彼のほうが年長であり、世間に通じて
いることでは、総司よりずっと先輩といっていい。
「外へ」
総司がぽつりと言った。
「え?」
「出してくれたほうが……」
やりやすいな、と、これは聞こえないほどの声でつぶやいている。

かすかに曇りを含んだそのつぶやきに気づかぬふりをして、山崎は道を折れた。
表通り、というには細いその道に面して、煙草屋が店を開いている。その角を
折れると、数軒の小さな借家が軒を並べている。棟割長屋よりはいくぶんまし、
といった庶民の住まいである。
 山崎は総司を導いて、その煙草屋に入った。
が、中には店の者はおらず、狭い上り框には、行商姿の若い男が一人、腰をかけていた。
そばに置かれた木箱を見ると、このへんを廻る貸し本屋らしい、と思える。
「どや、貫さん」
低い声で山崎が話しかけた。貸し本屋の男はこちらをちら、と見て会釈すると、
「いますよ。ちゃんと。」
と、これも顔立ちのわりに低い声で答えた。上方の言葉ではない。
「まわりは?」
山崎が尋ねる。
「かみさん連中は、買い物を装って外へ出しました。子供らは裏から抱えて、
つまり、五軒ともカラです。」
「うん」
「あとは、コマを六つ配ってありますので、まあ抜け穴でも掘っていない限り、
外へは出ていませんよ。」
淡々と言っている。抜け穴でも、というのは冗談かもしれない。
上出来、という顔で山崎がうなずいた。
「コマ?」
と、総司が将棋をさす手ぶりをした。
「いや、符牒です」
山崎が、聞くなというように短く答えた。監察どうしの符牒なのだ、という
意味である。総司は、ちょっと肩をすぼめてうなずいた。確かにこのあたりは、
例え身内といえども、隊で最もおしゃべりな総司には教えたくないかもしれない。
「申し遅れました。吉村貫一郎です」
貸し本屋はそう言って、今さらのように総司に頭を下げた。
「沖田です。」
総司も、同じように礼を返した。さきほど山崎が「監察の吉村君」といったが、
この男が正式に新選組屯所に籍を置くようになるのは、少し先の話になる。山崎が
地元の大坂で拾ってきて、探索方として使ってくれ、と近藤、土方に紹介したという
くらいしか、総司も素性を知らない。
「暑いのに恐縮ですな」
吉村はそう言って、わずかに目を細めた。
「そちらこそ。」
「慣れたもんですよ。まあ、挨拶は仕事のあとでゆっくり」
仕事、という言葉で、総司はふと真顔になった。
「そうですね」
この商人の風体も、脱走者の佐倉七郎を追い詰め、見張っておくための仕事なのだ。
山崎も変装は巧みだが、さすがに相手が隊士では顔がごまかせない。それで、
新選組にはまだ表立って出入りしていない同僚が代わっているというわけだろう。
「すぐにやりますか。」
吉村が、世間話のような口調でそう言った。
「………。」
山崎が、ふと、総司の顔色を見た。
「朝茶を飲み損ねていらしたんでしたな」
思い出したように言って、わずかに笑った。この男にしては珍しい。
「ああ、そうでした。喉が乾いたな」
総司も、屯所を出る時に自分がそう言ったことに気づいて笑った。
「麦湯がありますよ。熱いほうがよろしければ、茶もすぐに」
吉村が、自分の家のようにひょいと、勝手のほうへ立っている。
「さめたほうがいいです。待たせたうえに、すみません。」
総司が答えた。
 山崎と総司は、それぞれ湯のみに注がれた麦湯を飲んで、汗をぬぐっている。
表の暖簾越しに人が覗いても、店番を頼まれた出入りの貸し本屋と馴染みの客、
くらいにしか見えないはずだった。
「まあ、急いだところで……」
と吉村がひとりごとのように言って、売り物の煙草に、一服の火をつけた。

 佐倉の寿命の四半時が半時に延びるだけのこと、と、三人とも思ったらしいが、
口にはしなかった。
 少し風が動いたらしく、チーン、と澄んだ音がして、軒の風鈴が揺れた。その
音に引かれたように、一人の男が店に入ってきた。町人である。
「どうした」
 山崎と吉村が、同時に、同じ種類の視線をその男に向けている。
男はやや声をひそめて、
「旦那、女が外へ出ました。」
その目や身ごなしが、どこか素町人ではない。監察が使っている目明しの一人
だろう、と総司は察した。
「動いたか。」
吉村がぽん、と煙管の火を落とした。
「へえ、なんや、ちょっと買い物いう様子で……じきに戻るような気振りどしたけど」
「山崎さん」
吉村が振り返ると同時に、山崎がうなずき、その後で総司の顔をのぞくようにした。
「沖田さん、お願いします。」
はい、と答えて、総司は立ち上がり、長刀を腰に差し込んだ。
四人の男が、すらすらと続いて煙草屋の店を出、すぐ脇の小道、路地といって
いい細さだが、そこへ身をすべらせた。右に三軒、左に二軒、そこをまた折れると
めざす借家がある。
「行き止まりか。」
総司はちょっと驚いて、小さく声をあげた。山崎は、しっ、という顔で制した。
確かに、いくらそこが情婦の家とはいっても、袋小路の家に隠れるとは、
逃走者としてよほど迂闊なことでもある。
「ここは知られていない、と思っているようです」
吉村が総司の背後から、囁くように説明した。それもそうかもしれない。
平隊士の隠し女の家が、こうやすやすと監察に知られていることのほうが、
不思議なくらいだった。
 その戸口の前に立った時は、皆、無言である。目明しの男が進み出て、
そっと手をかけた。わずかに開く。内からの戸締りがされていないことに、
ちょっと不審な顔をしつつ、男はこちらにうなずいた。まず山崎が、
戸をするり、と開けた。そのまま入った。総司、吉村と続く。
 土足のまま、狭い茶の間を越えて山崎が障子を開いた。奥の部屋、
まだ乱れた布団にくるまっていたらしい、相手がいた。むっとこもった
匂いがする。
「四番隊、佐倉七郎君。」
低いが通る声だ。佐倉は飛び起きて、真昼に幽霊でも見たかのような
目を見開いた。
「う、うわ……」
ひざで這うようにして、傍らの刀をつかんだ。幾分正気が残っているらしい。
 山崎は構わず事務的な口調で、
「この一両日、隊に無断での外泊は、法度にふれている。詮議を受ける
つもりがあれば、屯所まで同道していただく。」
紙に書かれた決まり文句を読むように、よどみがない。一種の儀式である。
「い……」
佐倉が、やっとのことで言葉を発した。
「いやだあっ!」
その意思表示、すなわち脱走の宣言が、この男が世に残した最後の
言葉になった。
 総司がトン、と足を踏み出し、腰間の剣を抜いて彼の喉笛をつらぬくまで、
数秒もなかった。その上、まるで返り血を嫌うかのようにすりぬけて、
ほうっ、と息をつくまで、場の空気は身じろぎもしなかった。
「………」
二人の監察も、呼吸を飲んでいる。先に動き始めたのは山崎のほうだった。
「検分。」
短く言うと、顔色も変えずに佐倉の絶命を確かめている。吉村もかがんで、
総司の仕事を確認した。
「お見事です。」
真顔で言った。総司はふと、困ったような顔で首をわずかに左に傾けた。
その手先は、懐紙で丁寧に刀身をぬぐっている。いつもなら、
「ほめられるような仕事でもありませんよ」と言うところかもしれない。
 三人がその小さな家の表へ出るのと、周囲に伏せていた目明しの
手下数人が姿を見せるのと、そして、路地の向こうからこきざみに
走ってきた女の悲鳴が聞こえるまでに、ほとんど時間の差はなかった。

 屯所で山崎の報告を聞き終えた歳三は、ふと、
「で、沖田君は?」
と尋ねた。山崎はふと肩の力を抜いて、
「もうひとつの役目を果たしてきます、とおっしゃいまして」
と、戸外に視線を送った。

 その総司は、壬生寺で日暮れ前のひととき、子供らとかくれんぼに興じている。
 ひぐらしの声があたりの空気に染み渡るように響いていた。
 目を閉じた総司の瞼の裏に、ふと昼前の残像が浮かんだ。
(きょう……)
 総司の柔らかい心に、赤い爪あとをたてるように残ったのは、戸板に乗せられ、
冷たい物体となってしまった脱走者の姿でも、それに取りすがって、周囲の
非情を責めた女の泣き声でもなく、あの路地の上にぽとりと落ちていた、
真新しい草鞋だった。
 朝、表の店が開くのを待って、女は疲れた男のわずかな眠りを妨げないように、
旅路に必需の草鞋を買い求めようと戸を開いて出て行ったのである。だがその
気遣いが、総司たちの仕事を容易にした。
(……あの草鞋、履かせただろうか。)
死者の装束に、である。そんなことをふと頭の隅に浮かべながら、総司は
壬生寺の大木に額を寄せて、
「ひとーつ、ふたーつ、」
とやや高い声をあげた。そして、散っていく子供らの足音に耳を澄ましていた。
 

  
<2008/4/5(土) 11:13 沖田総司>

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