知的者に人気の剣法


 
創始者は下野の人福井平右衛門で、天明(1781〜89)に立てた流派。平右衛門は最初は一
 
円流剣法を学び、回国修行中に信州稲綱権現に参り突如開眼し、無念無想の祈りの最中に
 
神託を得て編み出した「神道無念流」と名づけたらしい。その後、彼の教えを広めたのが
 
愛弟子の戸ケ崎熊太郎であり、江戸に道場を構えて門人をとる。その門人で武州埼玉郡下
 
の寒村から出た孫弟子にあたる岡田十松が流派中最高の剣士といわれ、神道無念流の名を
 
天下に広めた。岡田はしばらく戸ケ崎道場の師範代を勤めたあと、独立して撃剣館という
 
道場を開き、剣の達人の上に人格的にも優れ、入門者はあとを絶たなかった。その中でも
 
後に斎藤派無念流を立てる斎藤弥九郎は、鈴木斧八郎と並び、最も傑出した門弟だった。
 
弥九郎は、師匠岡田十松の息子熊五郎が跡を継げるまで師範代を勤めた後、独立して練兵
 
館を開き、いずれの道場も隆盛した。
 
「天下のために文武を用ゆるは治乱に備ふる也」との道場訓があるように、神道無念流は
 
水戸藩や長州藩などの諸藩から、理想的な子弟育成機関とみなされ、この流派からは知的
 
にも優れた武士が多く出たのも特徴である。藤田東湖、武田耕雲斎などの水戸藩士や、の
 
ちに伊豆韮山の代官になる江川太郎左衛門、画家として名高い渡辺崋山、練兵館塾頭を勤
 
めた長州の桂小五郎などの顔ぶれである。新選組では永倉新八、水戸浪人の芹沢鴨、新見
 
錦、平山五郎、平間重助らがいる。
 
剣術だけにとどまらず学問や礼節、人としての生き方にまで及び、その伝統は明治以後も
 
生き続け多くの人材を傑出した。現代でも知的人に人気のある流派である。
 
 
 
                                                    (参考 世界文化社新選組)

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