多摩の田舎剣法


 
よく多摩の田舎剣法といわれるが、流儀の創始者は遠江の人、近藤内蔵助である。内蔵助
 
に学んで奥義を極めた三助が養子となり二代を継ぎ、武州石原村(現在調布市)に試衛館
 
という道場を開いた事がきっかけで多摩で盛んになった。三助の後継で師範となった島崎
 
周助が江戸進出をはかり牛込柳町の甲良屋敷へ試衛館の看板を上げ多くの門人を養成した
 
のでいよいよ広く知られるようになった。万延元年の武術英名録は江戸を除く関東域の剣
 
客名を記したものであるが、武蔵国に広域を持つ多摩郡の中では、圧倒的に天然理心流の
 
門人名が占めている。武州は幕府、旗本、寺社、大名領などが複雑に絡み合い、無宿人や
 
博徒が横行しやすく、名主、豪農を主に自衛組織が必要とされたため、剣術を習うことが
 
禁じられた農民にも護身の剣術を習う風潮が高まり、また、士分の八王子千人同心も多く
 
天然理心流を習った。三代目の近藤周助に見込まれて養子となったのが、四代目の宗家・
 
近藤勇である。江戸の道場から多摩の支援者達の村々へは各師範が出稽古に廻った。
 
この剣術は激しく実戦的な特徴を持つといわれるが、仕太刀、受太刀による舞踊のような
 
形式化した剣術に実戦の厳しさをもたらした剣法は、他にいくらでもあり天然理心流が特
 
に顕著だったともいえない。入門してからの段位平均取得期間は、入門〜切紙が一年六ヶ
 
月、目録・一年六ヶ月、中極位目録・三年二ヶ月、免許・三年九ヶ月、指南免許・十年と
 
いわれている。極意書なども伝わっているが、剣術の書、特に奥義を伝える書ほど抽象的
 
で解りにくいものはなく、特徴を他流と区別して指摘するのは至難であろう。新選組を輩
 
出した流派という事で一躍有名になったが、大藩と手を結んだ江戸の大道場と比べて、門
 
弟の多くは出自は高くないものの、浦賀奉行所与力で後に箱館戦争を戦った中島三郎助な
 
どの幕臣が入門している。土方歳三や沖田総司らは近藤の弟子にあたるが、剣の筋は塾頭
 
も勤めた若い沖田の方が良かったらしい。ただ殺し合いでは土方の方が上だったとの評も
 
ある。近藤勇の死後、養子の勇五郎らが伝え今に至るが、明治以降は知名度に比して実際
 
に習う人は多くはないようである。
 
 
 
                                                 (参考 世界文化社新選組)

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