秋月登之助 
 あきづき のぼりのすけ 

会津藩士
 
  前名は江上太郎。会津藩士。父は江上又八といい、会津田島の代官をしていた。  

  江上、秋月、原田氏は、その祖先が中国からの帰化人で同族だったため、秋月姓  

  を称す。藩主松平容保に従って上洛していたので、早くから新選組とは接触が  

  あったものと思われる。  

  慶応4年3月、会津藩が江戸藩邸を引き揚げるにあたって登之助は江戸に残り、  

  藩庁の了解のもとに脱藩の形式をとって幕府軍に投じ、歩兵差図役並に任じられ  

  て第七連隊付となる。その後、伝習隊に転じ、第一大隊の隊長となって大鳥圭介  

  の率いる幕府脱走軍と合流して宇都宮などで新政府軍と戦う。この時土方歳三は  

  登之助のもとで参謀を勤めている。年齢的にも、実戦経験からいっても、土方の  

  方が上であったが、会津藩士である登之助を立てていたのである。会津戦争以後  

  登之助の消息は詳らかでない。明治19年7月、加波山事件で投獄されていた、  

  下館の玉水嘉一が、小菅集治監で武士風の黒い獄衣を着た者から声をかけられた。  

  その者は「拙者は秋月だ」と名乗ったが、おそらくそれが登之助だったらしいという。  




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