板倉勝静
いたくら かつきよ

備中松山藩主
 
文政6年1月4日、伊勢桑名藩主松平定永の第八子に生まれる。天保13年備中松山藩主板倉
 
勝職の養子となり、嘉永2年閏4月に襲封。周防守、後に伊賀守を称した。安政4年寺社
 
奉行に就任。安政の大獄に反対して免職となるが、大老井伊の死後、文久元年に復職、翌
 
年老中に昇進した。8月の生麦事件等で幕閣と対立した為一時退職するが、将軍後見職の
 
一橋慶喜とは古くから肝胆相照らす仲であり、将軍家茂から罷免されていた板倉は慶喜に
 
救われた事で更に結びつきを強めた。元治元年には再度の老中となり、会計総裁を任ぜら
 
れ、将軍慶喜政権に於いては内閣総理大臣的な役割として終末期の幕閣の中枢を勤めた。
 
平和な時代であれば板倉は穏当な幕僚として任に堪えたのであろうが、動乱期の政治家と
 
して果断に富み臨機応変とはいえなかったようである。幕府の第二次長州征伐の折、将軍
 
家茂自身の出陣という幕府の呼応に対し、各藩は自領を留守にして迄の再度の出兵には難
 
色を示し、命令はなかなか実行に移されなかった。この状況を打開する為、板倉は雄藩の
 
主導権と最強の軍事力を持ち前将軍正室の出身藩でもある薩摩が先頭に立てば各藩も従う
 
と考え、藩邸に呼び出しをかけた。そこへ「病気の重役の代理」として現れたのが大久保
 
一蔵(利通)で、「風邪で耳がよく聞こえない」と偽ってなかなか話に乗らず、板倉は膝
 
を近づけて薩摩が率先して征長出兵を打ち出すようにと説得すると、大久保は聞き違えた
 
ふりをして、薩摩が長州と同じ朝敵で征伐なさろうというのか、それは身に覚えのない冤
 
罪だから当方も武備を整え迎え討つ、と言った。板倉が驚いて話を繰り返すと、大久保は
 
長州征伐の無意味を理路整然と述べて退出し、京都留守居役木場伝内の名で拒否の書面を
 
提出した。幕府老中の要請を一介の留守居役の名で拒否するとは、と板倉が怒ると、大久
 
保は間もなく平然と書簡往復の間に合うはずもない国元の薩摩藩主の名で再三提出、板倉
 
は激怒したが、薩摩を敵に回す事もならず、結局は翻弄されたまま、処罰する事も命令に
 
服させる事も出来なかった、という。慶喜の将軍就任後、活発な新政策も征長失敗後の衰
 
退は止められず、土佐藩からの大政奉還懸案を採択する時、板倉は勿論異論は唱えず「朝
 
廷に政権奉還後は慶喜が天皇の摂政になる」という案を考えており、幕臣たちにも引き続
 
き忠勤に励めと発令している。これが幕政終末等とは考えていなかったのであろう。しか
 
し、薩長と岩倉の謀略による討幕の密勅、王政復古、徳川の納地辞官等により激怒した幕
 
臣の勢いを抑える事は出来ず、大坂城で風邪と称して引き篭っていた慶喜の元へ行き、将
 
兵の激昂は並大抵でなく、京都への出兵なくしては治まらない、と何度も説いた。慶喜が
 
幕府には薩摩の西郷吉之助に匹敵する者はあるか、大久保一蔵にかなう者は、吉井幸輔他、
 
薩摩の数名の名を挙げて次々に聞くと、板倉はどれにも「否」と答えたという。慶喜が失
 
望して、そんな有様では必勝は期し難い、我から戦を挑むなと言うと、板倉は「しかし出
 
兵を許可しなければ臣下達が怒って上様を刺すかもしれない程の勢いです」と尚も繰り返
 
したという。幕府には有為の人材がいないというのは、老中として認識不足と責任転嫁で
 
あり、「自分がいるではないか」とは言えない自信のなさを物語っている。結局は鳥羽伏
 
見の開戦と敗北、慶喜の城外脱出という不名誉な事態となった。一説には慶喜一行は城門
 
を出る時に「お小姓の交代でござる」と、見張りの兵に嘘をつきながら通ったともいい、
 
軍艦で江戸に戻った後も板倉は榎本武揚ら血気盛んな幕臣に説明を求めて詰め寄られる。
 
慶喜から幕府の敗戦処理全権を任されたのは勝海舟であった。
 
板倉は家督を勝全に譲り隠居した後に、江戸を脱出して奥羽越列藩同盟に参加し、榎本軍
 
と共に箱館へ渡航。旧大名といえども蝦夷への同行人数は3名と限定された為、備中松山
 
藩士らは桑名、唐津藩士に倣い、土方歳三傘下の新選組隊士に編入する事を申し出たが、
 
この時に「新選組加入は船に乗る為の名目で、蝦夷地では旧主の板倉勝静の配下に戻る」
 
と話した為、土方の逆鱗に触れた。備中松山藩は朝敵として岡山藩の追討をうけ鎮撫使の
 
支配下となっている。箱館抗戦も敗北となり、明治2年、板倉は東京で禁錮され、版籍奉
 
還後の9月、先々代藩主勝ラの弟勝喬の四男勝弼を藩知事として松山藩は復藩し、翌月高
 
梁藩と改称。明治4年、勝静は禁を解かれ、上野東照宮祠官となり、同22年4月6日に没。
 
享年67歳。
 
■ 御 家 紋 ■
 

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