刀 剣 の 書




銘 菊一文字則宗
国宝 太刀

(長七八・四八糎)

後鳥羽院番鍛冶の一人と伝えられる則宗をはじめ、

初期一文字派は姿、地刃ともに古備前派さながらの

作風を示している。この作は腰反り高く踏張りがあり

小乱れに小丁子を交え沸づいた刃文に板目肌地沸

がついた鍛で、則宗の作品中、最も優れた健全な

作品である。一説に新選組の沖田総司がこの作の刀

を所有していたとの事であるが、この時代でも貴重な

刀であり、高価なものであるので不可能と考える。


銘 長曽袮虎徹入道興里
脇指 同作彫之

(長四五・七五糎)

本国越前住人至半百住  尓

武州之江戸尽鍛冶之工精

指裏の銘文は「本国越前ノ住人、半百ニ至ツテ武州

ニ居住ス。鍛冶の巧精ヲ尽スノミ」と読み、虎徹が

半百(五十歳)になって江戸に出、甲冑師から刀工

に転じたことを裏付ける作刀である。表裏の仁王の

彫物も巧みで寛文三年頃の作である。武州出身の

新選組近藤勇もこの作を愛して止まなかった。


銘 和泉守藤原兼定


(長七〇・六糎)

臨兵闘者皆陣烈在前

この刀は関鍛冶の著名刀工之定の代表作で、茎の裏銘

は「兵ノ闘ニ臨ム者ハ皆陣列ノ前ニ在レ」と読むもので、

戦陣にあって勇気を鼓舞する、当時流行した言葉を切

り付けてある。新選組土方歳三の愛刀で知られる兼定

であるが、この作ではなく、会津十一代兼定である。


銘 堀川国広
重文 刀 九州日向住国広

(長七〇・六糎)

天正十八年庚 弐月吉日平顕長

明寿と共に新刀鍛冶の租と称される国広が野州足利に

於て長尾顕長のために製作したもので、北条氏康が

顕長に贈った山姥切と号のある長義を写した国広作中

の第一の傑作である。新選組土方歳三が脇指を所有

していたとの事であるが、この時代でも貴重な刀であ

り、高価なものであるので不可能と考える。


銘 葵紋越前康継
重文 脇指 奉納尾州熱田大明神

(長三五・三糎)

両御所様被召出於武州江戸御

剣作御紋康之字被下罷上刻籠  越前康継

この銘文から家康、秀忠の両将軍の前で鍛刀し、葵紋

を賜り康継を改銘したことが明らかで、この期は慶長十

一年頃とみられる。地刃の出来もよく、梅竹の彫物も

見事である。新選組土方歳三もこの作を所有していた。


銘 肥前国忠吉


(長六七・三糎)

小板目肌がよくつみ、地沸のこまかくついた鍛に

直刃調に小足が入りよく沸づいて冴えた刃紋の肥前

刀の典例である。初代忠吉は肥前鍋島家の抱工となり

のち代々藩工として栄え、新刀期を通じて数多くの作

品を残し、幾人もの名工を輩出し、これらを肥前刀と

総称している。土佐藩岡田以蔵なども所有していた。


銘 村正


(長七三・三二糎)

勢州村正は一般に相州正宗の門人というが、室町末期

の刀工である。表裏揃った箱乱刃を焼いて特色を示し

ている。斬味が抜群であり、徳川家に不吉であるといわ

れたところから妖刀説が流布した。幕末期は、長州など

倒幕派に人気があった。この刀は村正の代表作である。


無銘 正宗(名物観世正宗)
国宝 刀

(長六四・四糎)

大磨上げ無銘ながら、鎌倉末期の太刀姿で、正宗の

代表作品であり、硬軟の鉄を鍛えた美しい地景と刃

中の沸のはたらきを見事にあらわした作風を示して

いる。観世家から徳川家康に献ぜられ、この呼称が

ある名物である。


銘 長船(名物大般若長光)
国宝 太刀

(長七三・六三糎)

大般若長光は、長光の作品中、最も名高い。室町時代に

代付が六百貫で、大般若経六百巻と通じたため名付けら

えれたもので、足利義輝から三好長慶に、さらに信長が

姉川合戦の功により家康に、長篠合戦の奮戦を賞し家康

から奥平信昌へ与えられ、武州忍の松平家に伝来した。


銘 三池光世(名物大典太)
国宝 太刀

(長六六・一糎)

三池典太光世は、九州筑後の平安後期の刀工であり、

この作は室町以来天下五剣の一で、反りが深く堂々

たる体配で大典太といわれる名物である。元来、室町

将軍家の重代で、のち秀吉が所持し、前田利家に与え

て以来、同家第一の重宝として今日に至っている。





このページは1時間毎に色が変化するようになっております
The music produced byDR(零式)さん


刀剣の書 参を閲覧する



新選組屯所へ戻る


このページは幕末維新新選組の著作物です。全てのページにおいて転載転用を禁じます。
Copyright©All Rights Reserved by Bakumatuisin Sinsengumi