寛永寺(東京都台東区)

徳川家の菩提寺として、有名な寺。
ちなみに徳川慶喜は、この寺には入れず谷中墓地
(同じ台東区の共同墓地)に埋葬されている。



上野山(東京都台東区)

東京の下町で戊辰戦争の舞台になった地。
上野戦争 明治元年5月15日勃発、夕方には終焉する。特に黒門前には、
薩摩軍との死闘が繰り広げられた激戦区である。
彰義隊壊滅の地でもあり、西郷の銅像がある地でもある。
そこから日光街道を下る凡そ3Kmに三ノ輪駅(営団地下鉄日比谷線)があり、
そのまま下ると左側に円通寺がある。
 
写真左より 上野山での黒門付近で薩長軍と彰義隊の壮絶な戦い。
右:黒門をはさんでの戦いの様子左下が黒門



円通寺(東京都荒川区)

彰義隊士(266人)の死体は官軍の命により上野山に放置されたまま
だったのを見かねた地元の人々と住職がこの寺に埋葬した。
新選組十番隊組長原田左之助の終焉の地でもあるかも?(明治元年5月17日没)
(説では、江東区の旗本の屋敷に負傷した左之助を運び込み翌日
亡くなり同区の寺に葬ったと言うが定かではない)
私は左之助は戦死して同志と共にこの地に収められている気がする。
この寺には、榎本武揚、松平太郎ら幕臣の墓標がありこの戦で最大の
攻撃地、黒門が国から贈与されている。
その門にはところどころ、銃痕の穴があり、当時の凄ざましさを垣間見れる。
私もこの地に生まれ育ち、幼い頃によく遊んだ寺でもある。
古い人は昭和38年に起きた誘拐殺人事件、よしのぶちゃん事件で御存知かと思う。
犯人が死体を隠し埋めていた寺。
彰義隊士の墓や、佐幕派の墓標などがある。
   



黒門

上野山の八ある門の中で、一番前にあり上野で官軍と幕府軍の戦いの拠点でもあった。
多数の銃痕は、当時の戦いの凄まじさを感じさせられる。戦いというよりもむしろ虐殺
の表現のほうが近いのかもしれない。原田左之助もさぞかし無念であったろう。
  




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