誠抄
第 1 回

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絵 筆 と 剣 と

                                       1  ▼
(一) 陰  君  子


――― 慶応元年、秋。西本願寺の新選組屯所。道場で、新規隊士の入隊試験が行われて
   いる。壇上に、局長近藤勇、副長土方歳三が座っている。試合の審判は一番隊の組
   頭(小隊長)で、局の剣術師範でもある沖田総司。
沖田   次。
――― は、と言って二名のものが立ち会った。一人は大上段に構え、鋭い気合を発して
   いる。もう一人は晴眼に構えつつ、試合が始まっているのに気づいていないかのよ
   うに静かであった。
近藤   上段のほうかな。気で勝っている。
土方   ……うむ。
――― ところが、その大上段が振り下ろされ、決まった、と思った瞬間、相手の竹刀が
   目にも止まらぬ速さで弧を描き、胴をなぎ払っている。
沖田   (さっと手を上げて)一本
近藤   ほう。
――― 試合は、勝敗を見るものではない。技量をはかるためのものだから、少なくとも
   三本、近藤らがまだまだ、と言えば尚も続く。
男    きええいっ。
――― 一本取られたほうは、気負い込んでかかってきた。これも並の力量ではない。が
   三本とも、結果は同じようなものであった。すい、と風を切るようにかわし、した
   たかに打っておいて、またふっと静かな呼吸に戻る。
土方   (どんなこつがあるのかね。)
――― 土方も首をひねった。
沖田   それまで。
――― 沖田が告げ、試合が終わったあと、その男は何事もなかったかのように、静かに
   座った。年は三十前後だろう。これといって目立つところのない、しかし端正な顔
   だちをしている。


――― 近藤、土方は別室に下がり、応募者の履歴を見ながら話し合っている。
近藤   しかしあれは、強いのかね。
土方   強いんだろう。
近藤   だろう、とは?
土方   総司がさっさと終わらせている。あれぁ、優劣がはっきりしたからあんなもん
     でやめさせたのさ。
近藤   しかし、妙な男だな。気負いというものがまったく感じられなかった。
土方   剣に、無駄がないのだろう。最小限の動きでしとめている。
近藤   実戦に向くのかね。
土方   さて……。面談の後でもよかろう。


――― 実技でこれは、と思った者は近藤、土方の面接を受ける。さきほどの男も呼ばれ
   た。
     
まつばりゅういちろう
土方   松庭柳一郎君、か。
松庭   はい。
――― 土方は、履歴書の流麗な文字を見た。
土方   (松の庭に、ひともとの柳か……水墨画みてえな名だ。)
――― 土方は、趣味で俳諧をする。その視点から見て、この男の名が、とってつけたほ
   ど絵画的で、風雅にできすぎている、と思った。
土方   本名かね。
松庭   訳あって、変えております。
土方   ほう。
――― 男は、穏やかに言った。近藤は少し眉をひそめた。
近藤   なぜかな。
松庭   放蕩して、国脱け(脱藩)をいたしましたので。本名では旧藩に顔向けできま
     せん。
近藤   国事を志して、ではないというのか。
松庭   はい。
――― 松庭はふっと、照れくさそうに頭を掻いた。
土方   君は、正直だな。
――― 土方が珍しく笑った。
土方   旧藩は、ここにある通り浜松かね。
松庭   はい。
土方   に、しては訛りが少ないな。
松庭   少年の頃江戸に遊学して、それから長いことおりました。
近藤   ほう、江戸。
――― 近藤の表情がやわらいだ。自分たちも江戸から出てきている。ために、関東の侍
   に対しては肩をもちやすい。
近藤   なぜ、入隊を希望したのかね。
松庭   ………。
土方   松庭君。
松庭   募集がある、と聞いたからです。
土方   (苦笑)それでは理由にならん。心情を聞いている。
松庭   ……生きている理由が欲しくなった。強いていえばそんなところです。
土方   生きる理由?
松庭   はい。日常が生死の境目にある。そういった暮らしがしてみたい……それでは
     いけないでしょうか。
土方   ………。
近藤   松庭君。われらはただいたずらに武勇を競うために集まっているのではない。
     微力なりと公儀(幕府)をお助けしつつ、尊皇攘夷のお役に立つことこそ新選
     組の本懐である。君に、そうした尽忠報国の志は、あるのかね。
松庭   我こそは、と声高に主張するほどの器量もありませんが……。もし私などがお
     役に立てるのであれば、何事も謹んでご命令を承りたいと思います。
近藤   ふうむ。
――― 近藤、腕組みをする。
土方   では、聞くが……君は、入隊の条件として只今この場で人を斬れ、と言われた
     らどうする。
松庭   (さりげなく)斬ります。
土方   では、入隊ののち、隊によって死を命じられれば、どうする。
松庭   さあ……死ぬでしょう。
――― 松庭、人ごとのようにさらりと言っている。



                                                     2 ▼ ▲
――― 近藤と土方は、審査にあたって話している。
近藤   どうも、とらえどころのない男だな。打てば響く、というのではなし。本気で
     志願しているのかね。
土方   変にこちこちの論をぶつやつよりはいいさ。
――― 沖田が来る。
沖田   お呼びですか。
近藤   おお、総司。座ってくれ。
――― と、近藤は机の上の紙をさし、
近藤   この男だけ、決めかねているのだ。お前の意見を聞きたい。
               いんくんし
沖田   松庭柳一郎……ああ、隠君子。
近藤   隠君子?
沖田   なんだか、世をしのぶ貴人みたいに、物静かな人でしょう。
近藤   うむ。どうも、今ひとつ意気込みが感じられん。
沖田   お採りになったほうがいいでしょう。
近藤   ほう。
沖田   私は、そう思います。
土方   気に入ったのかね。
沖田   ええ。派手な剣ではないが、あの人はいいですよ。何の色もない。
土方   色?
沖田   欲というのかなあ。おのれの腕を存分に見せつけてやろうとか、出世してやろ
     うとか、国事に力を発揮してやろうとか、……そういう、変な色がない。
土方   お前と同じか。
沖田   さあ。しかし、一声かければ顔色一つ変えずに、さっと白刃の下に飛び込んで
     行く人のような気がする。土方さんの最も好きな型の隊士になるんじゃないか
     な。
近藤   ほほう。……総司が推すのなら、採用しようか。
土方   俺は、異存はねえ。
沖田   では、一番隊に下さい。
近藤   何?
沖田   いいでしょう。ぜひ。
土方   総司。編制については、全体を見て決める。先取りをするな。
沖田   (首をすくめて)……はい。


――― 松庭は入隊を許され、七番隊の谷三十郎のもとへ配属となった。沖田はちょっと
   不服な顔をした。
沖田   七番隊かあ。谷大先生の組下ですか。
――― 七番隊組長の谷三十郎は、備中松山藩を浪人して大坂で槍、剣の道場主をしてい
   た男で、次弟の万太郎(新選組大坂屯所に分駐)、末弟の周平と合わせ、谷三兄弟
   と称されている。昨年、局長の近藤勇が板倉周防守の落胤だといわれる周平を自分
   の養子にし、近藤周平と名乗らせたために、俄に兄三十郎の鼻息が荒くなった。元
   来が尊大な男で、口が巧く、周平の外戚としてひところはかなり隊内で羽振りをき
                    ちょうらく
   かせたものだが、このところ、人気は凋落している。肝心の周平が、池田屋では大
   した働きもできず、その後も武勇の点であまりはかばかしい評判がなく、ようやく
   近藤の寵愛が冷めてきているために兄の立場も悪くなりつつあった。副長の土方は
   この兄弟のことを内心快く思っていない。そのため、近頃は谷率いる七番隊も、主
   戦力としての用いられ方をしていない。そういう事情がある。
沖田   私に下さいって、言ったのに。
土方   ものじゃあるまいし、勝手なことを言うな。かねて七番隊に欠員がある。
沖田   ちぇっ。



                                    3 ▼ ▲
――― 谷三十郎の部屋。松庭が挨拶をしている。
谷    君が、新参の松庭君か。(やや胸をそらして)言っておくが、陣頭において、
     組頭の命令は絶対である。私の命令は即ち近藤局長のお言葉であり、会津中将
     様の御為である。そのつもりで何事も私の下知に従ってもらいたい。
松庭   はい。
谷    君は、浜松の上士の出だそうだな。
松庭   いえ、私など、次男の部屋住みです。それに脱藩してかなりたちますので、国
     元とは縁がありません。
谷    そうかね。まあ、いい。氏素性を鼻にかけるようなふるまいは、無用にしてお
     きたまえ。つまらぬそしりを受けるからな。それに、新選組には百姓、町人の
     出身者が多い。
松庭   は。
谷    剣は、多少使えるそうだが……実戦の経験はあるのかね。
松庭   ございません。
谷    そうか。いや、誰でも初めはあわてるものだが、じきに慣れる。そういう機会
     があったら、君にも率先して手伝ってもらいたい。
松庭   承知しました。


――― 松庭は、その温厚な人柄でわりと早く隊に馴染んだ。沖田が七番隊の部屋の前を
   ふと通りかかり、思い出したように、
沖田   松庭柳一郎君は、いますか?
平同士1 はっ。(他の者に)おい、殿サンは?
沖田   殿サン?
平同士1 はあ、あだ名です。
平同士2 殿サンなら、向こうの方で襖はりをしていたが……。
沖田   襖を……、なぜです。
平同士2 はあ、吉田と加藤が、酔って喧嘩をして、大穴を開けてしまいまして。なんと
     かなおしてみる、と言って持っていきました。
沖田   そんなこともできるんですか、あの人。
平同士1 殿……いえ、松庭さんは、あれで案外、気軽に雑務を引き受けてくれます。
沖田   殿サン、というのは?
平同士1 いや、どことなく……物静かで、浮世離れしていて……お忍びで市井に住んで
     いる若殿様みたいでしょう。
沖田   ははは。
――― 沖田は、皆が自分と同じような感想を持っているのがおかしかった。


――― 沖田が言われた方に行ってみると、なるほど縁側で松庭が糊を使い、器用に破れ
   た襖を修復している。
沖田   へえ。うまいもんですね。
松庭   ああ、沖田先生。
沖田   (破れた所を見て)ちょっと見には、わからないなあ。
松庭   そうですか。
沖田   こんなこと、どこで習ったんです?
              きょうじや
松庭    江戸にいたころ、経師屋に居候しておりましたので。見よう見まねです。
沖田   へえ。町家にいたんですか。
松庭   ええ。
沖田   江戸のどのあたりですか。
松庭   本所界隈が、長かったですな。
沖田   ふうん。私たちは、牛込柳町です。お城をはさんで反対側だな。
松庭   そうですか。
――― 松庭はちら、と影がさしたような表情をした。同じ江戸にいたというのに、乗っ
   てこないところを見ると、あまりいい思い出がないのかもしれない。
沖田   松庭さん。それが終わったら、稽古につきあってくれませんか。
松庭   は……かまいませんが。なぜ私を?
沖田   松庭さんのは、不思議な剣ですからね。ぜひ、とことん立ち会ってみたい。
松庭   沖田先生のお相手にはならないでしょうが……。では、片づけてすぐに道場へ
     伺います。


――― 稽古の後。土方と沖田が、井戸で顔を洗っている。
土方   (手拭いを差し出し)どうだった。
沖田   え?
土方   おまえの言う、隠君子さ。
沖田   ああ。不思議な剣ですよ。しかし、強いな。
土方   ほう。
沖田   トンボみたいですよ。じっとしていて、今だ、と思うと、すい、と剣先が舞い
     上がってくる。視界から消えたかのように、いつの間にか間合いに食い込まれ
     ている。あれは、立ち会ってみるとなかなか、大変だ。
土方   今度は、トンボか。……撃ち込みが軽そうに見えるがな。真剣での立ち会いは
     どうだろう。
沖田   今にわかりますよ。



                                                     4 ▼ ▲
                          とつかわ
――― その機会は来た。七番隊が夜間探索中に、土佐、十津川系の浪士数名と遭遇した
   のである。
谷    京都守護職御預の新選組である。手向かいするな。
――― わっ、と浪士らは蜘蛛の子のように散ったが、中の一人が角力のように大柄な男
   で、足が遅かった。松庭、谷、平同士の加藤の三人が、その浪士を町家の塀際に追
   い詰めた。男はもはや逃げられぬと見て、身構えている。組長の谷は、
谷    加藤君、松庭君。私は検分する。君達の手柄にしたまえ。
加藤   はっ!
――― 加藤が奮って先に出た。が、浪士の抜き打ちのほうがわずかに早い。
加藤   うわっ。
――― 加藤が右肩を斬られて転がった。谷がふと、一歩足を引いた。その時、松庭がす
   るりと風を切って相手の懐に飛び込み、浪士の脇腹から胸を横殴りに斬って落とし
   ている。浪士は崩れ落ち、即死。
谷    ……み、見事だ。
――― 谷は、あっけにとられていた。松庭は初めて声を発し、
松庭   加藤君、大丈夫か。
加藤   ……う、うん。
松庭   こりゃあ、いかん。
――― 松庭は素早く手拭いを出して傷口を縛り、谷の方を振り返った。
松庭   組長。会所から、人を呼んで来ます。加藤君を見ていて下さい。
谷    おお。頼む。
――― 松庭は後も見ずに駆けだしている。


――― 近藤の部屋。土方が来ている。
近藤   松庭君は、初陣とは思えぬ出来だったそうだな。
土方   ああ。斬り口を見たが、見事なものだった。もっとも、谷は手放しでほめたり
     はしなかったがね。
近藤   なぜだ。
土方   組長の出番がなかったのが、おもしろくなかったんだろうさ。
近藤   新入隊士の技量をはかるつもりだったのだろう。臆して後詰めに回ったのでは
     ない、と言っていた。
土方   ならいいがね。
――― 土方、むすっとしている。


――― 負傷して寝ている加藤に、事情を正す土方。
土方   どうも、松庭君は自分の手柄だというのに、口が重くてな。君の口から、見た
     ままを話してほしい。
加藤   ……は。松庭さんは、素晴らしい戦いぶりでした。
土方   松庭君は、とは。
加藤   ………。
――― 加藤、ふと口をつぐむ。うかつなことを言って、今後谷に報復されるのを恐れた
   らしい。土方はその顔色を察した。
土方   加藤君。……残念だが君には、隊を去っていただくことになった。
加藤   え。
土方   その傷だが……筋を切っているらしい。医者は、治っても、以前のように刀を
     持つことが難しいというのだ。この先、ただすることもなく同志のかたすみに
     追いやられるのは辛かろう、と局長もおっしゃる。この際、新選組を離れてい
     ただくしかあるまい。
加藤   そう……ですか。
土方   公務による負傷だ。むろん、相応の手当てを出す。郷里に帰って、別の道を見
     つけてくれたまえ。
加藤   承知しました。
――― 加藤、ややほっとした顔をする。局を脱するを許さず、という掟のもとで、公に
   除隊を許されるのは稀な待遇である。
加藤   と、なればお話しするにさしつかえはありません。
――― 加藤は、当夜の模様を細かく報告した。中で、土方がひっかかった所がある。
加藤   谷組長は、一歩、足を引かれました。
土方   足を?
加藤   はい。
土方   ……後ずさりをしたのかね。
加藤   そう見えただけかもしれませんが。その時にはすでに松庭さんが、相手に撃ち
     かかっておられた。
土方   ふむ。
加藤   それと、松庭さんが私のために、会所に人手を借りに行かれた間、「君も松庭
     君も、功をあせって早く仕掛けすぎる。だからこのように、いらぬ手傷を負う
                                      からめて
     のだ。」ともおっしゃいましたな。ご自分はじっくりと間合いをはかって搦手
     から攻めるつもりだったのに、と、舌打ちをしておいででした。
――― 加藤は、片頬をひきつらせた。内心に、谷への憎しみがある。
土方   ……君は、谷組長の説がもっともだと思うかね。
加藤   (苦笑して)あの時松庭さんが飛び込んでくれなかったら、私が死人になって
     いますよ。
土方   ふむ。
――― 土方、自分の頭を指さして、
土方   加藤君。俺のここには、紙には書けないような覚え書きが、ぎっしりとつまっ
     ている。このこと、書き留めておく。
加藤   は。


――― 加藤はその後半月ほど、屯所の近くの民家を借りて傷の回復を待った。その間、
   見舞いに来た仲間に、事の次第を愚痴としてもらしたため、ことに七番隊の同士の
   間で谷三十郎の人気は著しく低下した。
平同士1 同じことなら、殿サンが組頭になってもらいたいよ。
平同士2 ああ。松庭さんは、加藤の見舞いに来て、あやまったらしい。
平同士1 あやまる?なぜだ。
平同士2 こうさ。


――― 回想。加藤の病室で、両手をつく松庭。
松庭   すまない。慣れないもので、私がひと呼吸、出遅れた。おかげで君にこんな大
     怪我をさせてしまった。
加藤   とんでもない。松庭さんは、私の命の恩人じゃありませんか。あれで上出来で
     すよ。
松庭   しかし、君がそのために除名に……。誠にすまない。


――― 話は戻って、
平同士1 へえ。(感心して)できた人だねえ。
平同士2 おまけに、加藤が国へ帰る日は、非番を利用して粟田口まで送って行った。我
     々には一言も言わずに、だ。
平同士1 えらい。いやあ、口や態度ばかり大きな人に、聞かせてやりたいよ。



                                    5 ▼ ▲
――― ある日、組長の原田左之助と斎藤一が平服で屯所を出ようとしている。七番隊の
   松庭と平同士の数名が、庭先でぶらぶらしているのを見て、
原田   おい、そこの連中は、非番か。
松庭   はい。
原田   ついてくるか。鴨でもおごってやる。
平同士1 は、そりゃもう!おごりと来れば、どこへなりと。
原田   ちぇっ。ちゃっかりしてらあ。
――― 原田は酒席でもにぎやかな方が好きである。
原田   松庭君も、行くだろう。
松庭   ……(ちょっと考えて)は、お供します。


          ぽんとちょう
――― 原田の足は、先斗町の茶屋に入っていく。
仲居   おこしやす。
原田   きれいどころを三人、いや五人ほど頼む。
仲居   へえ、おおきに。
平同士2 原田先生、鴨鍋ではなかったのですか。
原田   へ、馬鹿言え。いい野郎どもが雁首そろえてぶらぶらしてやがるなんて、哀れ
     だからよ。
松庭   煮ても焼いても食えぬ鴨の方が、お好きですか。
原田   おや。あんた、見かけに似合わず言うね。
――― 原田、からっと笑う。


――― 座敷。芸妓が出て、賑やかな酒宴になっている。平同士某の唄が終わる。
原田   ようよう。(いい加減な拍手をしながら)お前さんの音痴は、筋金入りだな。
平同士1 原田先生。それはないですよ。
斎藤   松庭君。
松庭   は。
斎藤   君ののどを、聴かせてほしいな。
松庭   は……いえ、(困ったように)私は。
原田   いいじゃねえか。唄え唄え、ご愛嬌だよ。
平同士2 そうそう、安心しろ。こいつの後なら、たいがいうまく聞こえる。
平同士1 ひどいな。
――― 皆、「ようよう」と手をたたいてせきたてる。
松庭   ……では。
――― 松庭、照れくさそうにしながらも渋い喉で唄いはじめる。皆、ほう、と聞き耳を
   たて、驚いている。芸妓もはっとして三味線を合わせる。
松庭   「嘘のかたまり、まことの情け、その真ん中にかきくれて、降る白雪と人ごこ
     ろ。積もる思いと冷たいと、分けて言われぬ……世の中」
――― やんやの喝采。
原田   何だよう、松庭。お前も人が悪いなあ。
斎藤   そうとも、玄人はだしじゃないか。
松庭   いや……。
平同士1 ちぇっ、とんだ引き立て役だあ。
――― 皆、げらげら笑っている。
芸妓   いやあ、ほんまにお上手どすなあ。どうどす、もう一曲。
松庭   あ、いや。
                        せど
芸妓    調子を変えて、にぎやかに行きまひょ。「背戸の段畑」どっせ。
――― 芸妓、勝手に三味線を弾きはじめる。箸で調子を取り始める者もいる。松庭、覚
   悟を決めて、滑稽な流行歌を唄う。
松庭   「背戸のなァ、段畑で、ナスとカボチャの喧嘩がござる、カボチャもとよりい
     たずら者だよ、長い手を出し、ナスの木に絡みつく、そこでナスの木が、真っ
     黒になって腹を立て、そこへ夕顔仲裁に入れて、こォれサ、待て待て、待て待
     てカボチャ、色が黒いとて、背ェが低いとて、ナスの木は地主だよ、オラやそ
     なたは棚(店)借り身分、よその畑へ入るのが悪い、ヤレ、奥州街道でカボチ
     ャのツルめが垣根をこわして大家が損する、大工が喜ぶ、十日の手間ドン、お
     やおやどうするどうする、ン、わけもない」
――― 皆、腹を抱えて笑いあっている。みごとに唄い終わった松庭は、しきりに照れて
   普段のおとなしさに戻っている。
斎藤   ははは。驚いた芸達者だなあ。
原田   あれは、相当遊んでるな。隅におけねえ。



                                    6  ▲
――― 原田は、泊まる事に決めたらしい。馴染みの芸妓がしなだれかかるようにしてい
   る。玄関で斎藤に耳打ちした。
原田   斎藤君。あんたもたまにはいいじゃねえか。あの、小染なんてのはどうだい。
     俺が話をつけてやるからさ。
斎藤   冗談じゃない。あれは、谷三十郎さんのコレだそうですよ。
――― 斎藤、小指を立てる。
原田   ほう、そいつは知らなかった。本当かね。
斎藤   ええ。さっき、吉田君が言っていた。谷さんの方がご執心だそうで、へたに恨
     まれでもしたらかなわない。彼らと一緒に帰りますよ。
原田   ふうん。じゃあ屯所の方へは、うまく言っておいてくれよ。
斎藤   奥方様の方へ、じゃないのかな。
――― 斎藤、にやっと笑う。
原田   (あわてて)お、おいおい。
芸妓   いや、原田はん、奥様がいてはんのどすか。うち、聞いてしまへんえ。
――― 芸妓が気色ばんで、原田をにらむ。
原田   (困って)斎藤君、あんたも無粋だなあ。意地が悪いよ。
斎藤   ほどほどにしなさいよ。
――― 斎藤、笑って玄関を出る。後ろで芸妓が原田に文句を言っているのが聞こえてく
   る。帰り道は、皆気持ち良く酔って歩いている。
平同士1 いやしかし、せっかくあまたの美女を目の前にしながら、門限までにとんぼが
     えりとは、悲しいもんですな。
平同士2 しかたない。我々平同士は、それが決まりだからな。
平同士1 斎藤先生は、外泊の許されたご身分だ。なぜ、お泊まりにならんのです。
斎藤   はは。原田さんの浮気の片棒を担いだと言われるのも、嫌だからな。
平同士1 そうだ。原田先生は、我々をダシにした。せっかく、堅気の女房を持って、可
     愛い子供までなしておきながら、女遊びとはいけません。いけませんぞ。私な
     ら、帰る家があれば、真面目にすっ飛んで帰るっ!
松庭   (笑いを漏らす)はは……。
斎藤   何だ。
松庭   月の給金が出ると、いそいそと島原へすっ飛んで行くのは誰かな。
平同士2 違いない。
――― 皆、笑う。夜道を歩いていると、二人連れの武士が、紋入りの提灯をさげて歩い
   てくる。
斎藤   ………。
平同士2 (小声で)斎藤先生。呼び止めますか。
斎藤   あの定紋は、佐賀藩だな。
――― 斎藤、首を横に振る。藩士なら、無用のもめごとは避けた方がいい。向こうも、
   新選組の提灯と見て、軽く会釈をしてすれ違おうとした。と、相手の一人がはっと
   して足を止め、何か思い当たったように小さく声を上げた。
斎藤   ……何か?
――― 新選組の四人が、揃って足を止めた。相手は恐れた様子で、
男    は、いや……
――― 男はちら、と視線をよこしたが、やがて頭を下げ、
男    知人と、人違いをいたしたようだ。申し訳ござらぬ。
斎藤   ……では、失礼。
――― そのまま何気なく行き過ぎたが、ふと見ると、松庭の顔が暗くなっている。
斎藤   松庭君。
松庭   (ハッとして)あ、はい。
斎藤   あちらは君の顔を見ていたようだが……知り合いかね。
松庭   いいえ。
――― 松庭は静かに言って、微笑した。


               次回 (二)へつづく
                                    7 ▲

   (二)裏芸へのジャンプ絵筆と剣と(二)裏芸 を読む

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