誠抄 まことしょう
第 2 回

★黄色いマークをクリックすると、前後の場面にジャンプできます。
通常、読むときはスクロールしてください。

絵 筆 と 剣 と

                                       1  ▼
(二) 裏     芸


――― 晩秋。沖田が、見事な菊一輪の鉢植えを重そうに抱えて、土方の部屋にやって来
   た。
土方   なんだ。そりゃあ。
沖田   いいでしょう。万年寺通りの下駄屋のご隠居が丹精して咲かせたものです。
土方   わざわざ、もらって来たのか。
沖田   ほめたら喜んで、くれるっていうから……。
土方   馬鹿だな。
――― 土方は苦笑した。沖田は年寄りに好かれる。
沖田   あげますよ。土方さんの部屋は、殺風景だから。
土方   花なんぞ、いらん。
沖田   いい匂いです。俳諧の題材になりますよ。
土方   ふん。
――― 土方、ちょっと筆を置いて、菊を見る。
土方   菊薫る、か。
沖田   まさか、「菊一輪、一輪咲いても菊は菊」なんていうんじゃないでしょうね。
――― 沖田は笑いだす。土方の旧作で、「梅一輪、一輪咲いても梅は梅」というのがあ
   る。
土方   馬鹿。
沖田   そんなのなら、私にだっていくらでもできる。「百合一輪、一輪咲いても百合
     は百合」「ボケ一輪、一輪咲いても………」
土方   総司。
沖田   ははは。
土方   菊と言えば……。隠君子というのは、菊の別名だ。お前の言う隠君子。
沖田   松庭柳一郎さんの事ですか。
土方   ああ。原田と斎藤が言っていたが、あれでなかなかの粋人らしいよ。
沖田   へえ。
――― 土方は、先斗町の話をした。沖田は笑って、
沖田   何でも器用なんだなあ。ご存知ですか、あの人は、絵も得意なんですよ。
土方   絵?
沖田   ええ。なんだか雑談の合間に、仲間に説明をしながらさっさっと落書きをして
     いるのを見たけど、あれで飯を食えるんじゃないかと思うほど、うまいもんだ
     った。
土方   ほう。そんな特技があるのか。
沖田   経師屋に居候していたとか言ったけど、いったい、江戸でどんな暮らしをして
     いたんだろう。本所に住んでいた、としか言わなかったけど……。
土方   それが、一切その頃の話はしねえらしい。人当たりのいい男だが、過去のこと
     には触れられるのもいやがるそうだ。
沖田   まさか、凶状持ち(前科者)じゃないでしょうね。
土方   そういうツラじゃねえ。
沖田   じゃあ本当に、いいところの御曹司なのかなあ。七番隊の間では、「殿サン」
     と陰であだ名しているらしいですよ。ひょっとしてどこかのご落胤とか。
土方   よせやい。
(苦笑する)ご落胤なんざ、もうたくさんだ。
――― 土方、苦々しい顔をする。
土方   平助(藤堂平助。江戸浪人で八番隊長。伊勢の大名藤堂侯の隠し子という噂が
     ある)が藤堂家のご落胤というのはどうせ奴一流のシャレだろうが、シャレに
     もならねえのがもう一人いる。
沖田   はは。……板倉侯のご落胤ですか。


――― 回想。谷兄弟が入隊したころ、兄ふたりに比べて末弟の周平のみ年も離れ、どこ
   となく「良家のぼんぼん」のような顔つきをしているのを近藤が不思議がり、何気
   なく谷三十郎に尋ねたことがある。
近藤   谷君。失礼だが、弟の周平君は、君とまるで似ておらんな。
谷    はは。さもありましょう。実は……周平のみは出自が違っております。
近藤   ほう。
谷    わけあって、谷の末子として育ちましたが……実は、
(声をひそめて)藩主板
     倉侯のお血筋でござる。
近藤   
(驚く)なんと、大名のご落胤か。道理で……あ、いや。
谷    まだ腕も未熟ながら、なんとかひとかどの武士として、その血筋に恥じぬほど
     の身を立ててやりたいと思っております。
近藤   それは……そうだろう。
――― 近藤が、どこか高価な玩具を欲しがる子供のような顔をしたのを、土方は目の端
   で見ていた。後日近藤は土方に、
近藤   わしも、このように国事に多忙の身だ。江戸に残してきたお瓊(たま、別名瓊
     子。近藤の妻ツネとの間に生まれた一人娘。)はまだ、幼い。万一の時、近藤
     の家、名跡を継いでくれる者を決めておきたい。
土方   名跡、ね。剣流の跡目ならば、試衛館塾頭の総司が譲り受けるのが当然ではな
     いのか。
近藤   いや。江戸にいた頃ならそうだろうが、今は総司とて、身の危険はわしと同じ
     ようなものではないか。安心できん。
土方   ふむ。
――― 土方は首をひねった。
土方   ならば、多摩の郷里に残っている門人の中から跡目を決めるのが筋だろう。あ
     んたと同じように、農家の二、三男以下で家をつぐあてのねえのはいくらもい
     る。日野の佐藤や小野路の小島さんたちに
(ともに多摩の名主)相談してみる
     かね。
近藤   いや。近藤も昔の近藤ではない。それなりの、格式が要る。
土方   格式?
近藤   わしに考えがある。幸い、先方も喜んでくれている。
――― 近藤は、嬉しそうににこにこと笑った。土方は、不可解なおももちで近藤の笑顔
   を見た。そののち、近藤は独断で、「大名の子」谷周平を養子にしてしまったので
   ある。




                                                     2 ▼ ▲
――― 再び、土方と沖田。
土方   近藤さんが、谷三十郎の口から出まかせを信じて、周平なんぞをうかうかと養
     子にしちまった。近藤さんともあろう人が、貴種というのに弱いらしい。剣の
     腕より筋目で跡取りを選ぶなんざ、近藤さんも出世したもんさ。
沖田   根に持ってるなあ。
土方   俺は、天然理心流の次期宗家は、門下でも生え抜きの沖田総司が継ぐものと思
     っている。実力からすれば当然だろう。
沖田   いやあ、私なんか、とてもつとまりっこありませんよ。
土方   お前に欲がねえから、あんなどこの馬の骨ともわからん小僧っ子に、名跡を持
     っていかれるんだ。
沖田   ははは……。私のせいにされても困る。
――― 沖田、ふっと複雑な顔をする。人には隠しているがすでに労咳(肺結核)の自覚
   症状があり、この頃はぼんやりとだが自分の寿命が見えてきている。頑丈な近藤勇
   より長生きして跡目を継げるなどとは到底思えない。
土方   しかし、俺の言うことをきかねえから、見ろ。近藤さんはもう、周平を養子に
     した事を後悔している。
沖田   ………。
土方   池田屋の時は初陣だったから、おっかなびっくりでものの役にも立たなかった
     というのは仕方ねえとして……その後も働きぶりはさっぱりだ。兄二人はそれ
     相応に槍や剣も使えるが、その点似ていねえところを見ると、種違いというの
     だけは本当らしい。
沖田   はあ……。
土方   しかも、気性だけは三十郎に似てひねくれていると来てやがる。あれじゃ、周
     平を養子にしている限り、近藤さんの顔が立つ日はねえよ。
沖田   ひどいな。
土方   谷も、内心はあせっているだろう。弟を差し出して、隊内での地位を得ようと
     したものの、養子縁組を解消でもされたらあてがはずれちまうからな。
沖田   まさか。近藤先生はいったん引き受けた以上、縁を切ったりはしませんよ。
土方   わかるもんか。あれほど大枚はたいて手に入れた深雪太夫
(花魁)と、あっさ
     り別れている。よりによって今度はその妹を妾にしている。
沖田   女と一緒にしちゃ、かわいそうですよ。
土方   似たようなもんさ。一時の熱が冷めれば、乗り換えるかもしれんぜ。何しろ、
     池田屋以前とは近藤さんの立場が違う。
沖田   と、言うと?
土方   幕閣を始め、お偉方との交流が、ぐっと広がっている。筋目がいいというだけ
     で養子を選ぶなら、いくらでも新しいのを世話してもらえるじゃねえか。
沖田   ああ……。
土方   この際年回りも器量も、お瓊さんの婿にふさわしい子供を選びなおしゃいい。
     何も、あんな谷の弟あたりをありがたがっているこたあねえ。
沖田   嫌いなんですねえ。
土方   え。
沖田   谷兄弟ですよ。悪口を言っている時、目が生き生きしている。よほど虫が好か
     ないらしい。
土方   お前の前だけさ。
沖田   そりゃそうだ。でもあまり聞きたくないな。
(立ち上がりかけて)……さて、
     この菊どうしよう。
土方   置いていけ。
沖田   
(にこっと笑って)ええ。よかった。
土方   総司。監察の山崎君と、松庭柳一郎君を呼んでくれ。
沖田   え?はい。




                                    3 ▼ ▲
――― 土方の部屋に、山崎烝と、松庭柳一郎がくる。
山崎   副長。何か。
土方   うむ。入ってくれ。
――― 山崎と松庭、着座する。監察とは通常の見回り部隊とは離れ、副長の指示で隊の
   内外の情報収集を任務としている。その監察である山崎は慣れているが、一介の平
   隊士である松庭がじきじきに副長に呼ばれるということは、あまり例がない。幾分
   緊張している。
土方   山崎君。例の一条堀川の一件、目鼻はついたろうな。
山崎   は。おおかた、人数を絞り込むところまで来ております。
土方   うむ。さて、松庭君。
松庭   は。
土方   君は、絵を描くのが得意だそうだな。
松庭   
(驚く)は。あ、いえ……ほんの手すさびで、大したことはありません。
土方   嘘だろう。
(にやりと笑って)唄と同様、玄人はだしだと聞いている。
松庭   はあ。
――― 松庭、副長が自分の事を細かく知っているのに驚いているらしい。
土方   そこでだ。今、この山崎君が探索している仕事を手伝ってもらいたい。
松庭   は……?
山崎   ああ……。
土方   山崎君は今、ある不逞浪士どもの巣を探索している。彼と共に見張りにつき、
     そこに出入りする人物の姿を、逐一写し取ってもらいたい。
松庭   人相書きですか。
土方   そうだ。詳しい事は、山崎君に指示を仰いでくれ。むろん、通常の巡察勤務か
     らはしばらく外れてもらうことになるが、組頭の谷君には私から話しておく。
     すぐにでもかかってくれて構わない。
松庭   承知いたしました。


――― 谷が、土方に呼ばれている。
谷    副長じきじきのご抜擢とあれば、しかたないでしょうな。
土方   しばらくの間のことだ。
谷    一介の平同士とはいえ、松庭君はずいぶん、諸先生がたに気にいられたもので
     すな。
――― 谷は皮肉っぽく笑っている。松庭が土方を始め、沖田、斎藤、原田といったはえ
   抜きの古参幹部に接触しているのが面白くないらしい。
土方   彼の特技を借りたまでで、特に目をかけたつもりはない。
谷    ならよろしいが……彼は、わが七番隊の組下です。ご指示を出される前に、ひ
     とこと私にご相談あってしかるべきと存じますがな。
土方   確かに。
――― 土方、内心むっとしている。
土方   しかし、昨夜は先斗町か祇園あたりで御遊興中との事で、お留守だったようで
     すからな。
谷    
(鼻白んで)……組には、外泊の旨届けてある。
土方   所在はその都度、明らかにしておいて頂きたい。
谷    どの女の所に泊まるか、いちいち決めて歩くわけではない。
土方   
(苦笑して)お忙しくて、けっこうなことだ。
谷    ………。
――― 谷は苦い顔で去っている。


――― 近藤の部屋。土方が呼ばれている。
近藤   谷君が、わしにまで文句を言いに来た。副長が、七番隊組頭の自分をないがし
     ろになさる、とな。
土方   ふ。告げ口か。
近藤   困ったものだな。細かいことまで、いちいちわしに言われても……。
土方   何しろ、あんたは親戚だからな。
近藤   よしてくれ。周平を養子にもらい受ける時に、この事で特別扱いはしないと約
     束してある。
土方   向こうはそう思っていねえさ。
近藤   歳、おめえは意地が悪い。周平に関しては、わしの眼鏡違いだった。それは認
     める。
土方   ………。
近藤   何しろ、いっこうに一人前の隊士としての成長が見られぬ。先々もこのままな
     ら、わしも考える。
土方   せっかくのご落胤を、手放すことはなかろう。
近藤   歳、皮肉を言うな、皮肉を。その口が、憎まれるもとだ。




                                                     4 ▼ ▲
――― 一条堀川。密かに染物屋の二階座敷を借り、山崎と松庭は町人の格好で向かいの
   小料理屋「たけもと」を窓越しに見張っている。
山崎   しかし……。
(松庭を振り返って)松庭君、君の変装には恐れ入った。町民の
     格好をしても、まるでおかしなところがないな。
松庭   は。
山崎   我々は慣れたものだが、急ごしらえだとどこか、武士臭さが抜けないものだが
     ね。
松庭   は……しかし、私は山崎先生のように流暢な上方言葉は使えません。
山崎   それはそうだろう。私は大坂が地元だ。
――― 山崎、餅菓子を食べている。
山崎   君は、浜松でも百石取り以上の家の息子だそうじゃないか。君の本名の松岡家
     と言えば、過去に殿様の用人を出した家柄だと聞いている。
松庭   ……よく、ご存じですね。
山崎   悪く思わんでくれ。入隊に当たって、いろいろ調べさせてもらった。新選組も
     有名になるにつれ、いろいろと危ないのが紛れ込んでくるもんでな。
松庭   危ないというのは。
山崎   倒幕派の間者さ。君の入隊する以前にも、数人、長州の密偵をしていた者が斬
     られている。
松庭   ………。
山崎   君は、早くに脱藩して江戸に住んでいる。少なくともそれ以前は、危険な思想
     に染まっていた気配はない。そうご報告した。
松庭   脱藩の、理由も?
山崎   え。
松庭   お調べになったのでしょう。
山崎   うむ。いろいろ、複雑な事情があるらしいな。
松葉   おっしゃる通りです。
――― 松葉、ふと寂しそうに笑う。
山崎   よかったら、話してくれんかね。
松庭   よくある話ですよ。


――― 松庭、ぽつぽつと話しはじめる。

松庭   私は……上士の息子といっても、父が江戸参勤の折に、妾に生ませた子供でし
     てね。本妻腹の兄が病弱だったせいもあって、幼い頃に浜松の本宅に引き取ら
     れて育ったが、子供心にもあまり居心地のいいところじゃなかった。
山崎   ふむ。兄貴が無事に成人しなかった場合の、控えというわけだな。
松庭   父親としてはそういうつもりだったのでしょう。しかし、武家の習いとはいっ
     ても……本妻……つまり私の義母は、面白くなかったでしょうな。
山崎   うむ。
松庭   皮肉なもので、私が来てから兄は丈夫になって、跡取りの心配はなくなりまし
     た。まあ義母も、やっきになって兄を育てたんでしょうな。江戸の妾の息子な
     どにみすみす家を奪われてなるものか……そういう意地はあったでしょう。
山崎   継子いじめをされたか。
松庭   そうでもないが……。まあ、はたで見るより、中身は冷たい家でしたよ。
山崎   ふむ。
松庭   どうも、生まれながらに兄とは差をつけられているらしい、とわかってからは
     せめて、学問や武芸では兄に負けまいとして、少しは頑張りましたがね。
山崎   松岡清四郎と言えば、秀才の誉れが高かったそうじゃないか。
松庭   何、子供の頃の話ですよ。
山崎   ふむ。
松庭   父母は、早いとこ厄介払いをしたかったのでしょう。十二の年には、婿養子に
     行く先を決められた。相手の娘は、まだほんの幼児でしたから……とりあえず
     約束だけでしたがね。
山崎   ほう。
松庭   むろん、そんなに早く見つかったのは、運のいい方です。
山崎   うむ。次男坊の部屋住みで、いつまでもうろうろしているより、よっぽど確か
     じゃないか。
松庭   そのいいなづけの家が、学費を援助してくれまして、江戸へ遊学できました。
     まあ、向こうは将来の婿に投資のつもりだったのでしょう。
山崎   先物買いか。
松庭   ええ。私も、もともとは江戸の生まれですから……窮屈な家を離れて、江戸で
     羽を伸ばせることが嬉しくてね。しかし、それがいけなかった。
(苦笑)
山崎   江戸の町が、面白かったんだな。
松庭   ええ。学塾や道場にも通いましたが……いつの間にか、他にやりたいことがで
     きましてね。肝心の、武士としての修業はさっぱりです。
山崎   絵描きを志したというのは、本当かね。
松庭   ええ。国元には、「筆を買う、書物を買う」と嘘をついて仕送りをさせ、その
     実は絵筆や草紙ばかり買って……町の女の絵などを、わき目もふらず描きまく
     っておりましたな。
山崎   
(笑って)そら、許されるわけがないなあ。
松庭   まあ当然でしょうな。何も妾腹の子に好きこのんで道楽させるわけがない。
山崎   で、出奔か。
松庭   ええ……どうせ、勘当になるところでした。お恥ずかしい話です。
山崎   それで、二十歳から江戸の町家に隠れ住んだというわけだな。
松庭   ええ。正直言って、はやりの尊皇攘夷など、どうでもよかった。町の中で、好
     きなことに打ち込んでいられれば、幸せでした。
山崎   歌麿や、北斎みたいになりたかったのか。で、ものになったのかね。
松庭   いやいや。所詮、内職に毛が生えたほどの芸で………絵で食えたのは、ほんの
     数年ですよ。それに……。
――― 松庭、ふと口をつぐんでしまう。山崎、注視している。
松庭   江戸者は、根気がないというじゃありませんか。……まあ、ぶらぶらと遊び人
     みたいな暮らしでしたよ。ほめられたもんじゃない。
山崎   ふうん。……に、しては剣の腕は鈍っていないようだ。以前、加藤君が負傷し
     た時に君が斬った死体の検分をしたが、技は確かなものだった。
松庭   はは。……武士を捨てたはずが、撃剣だけは好きで、やめられませんでね。
山崎   稽古は、続けていたのか。
松庭   はあ、細ぼそと。
山崎   細ぼそと、か。
――― 山崎、笑いをもらす。あの手並みは片手間に修業したものではない。
山崎   しかし、そのお陰でまた、飯が食えるわけだ。いずれにせよ、芸は身を助く、
     というところだな。
松庭   はあ。こんな自分を拾って頂いて……ありがたいと思っています。
山崎   江戸に、いい女でもいなかったのかね。
松庭   ………。
――― 松庭の表情が、さっと暗くなる。
山崎   松庭君?
松庭   あ、いえ……そんなのは、いませんよ。
山崎   そうかなあ。いや私などとは違って、あんたは風采もいい。人当たりもやさし
     い。ずいぶんもてたろうと思っただけだ。わざわざ遠い京にまで上って来なく
     とも、あたしが食べさせてやろうというきっぷのいい女が、いたんじゃないか
     とね。
松庭   いや……。
(少しの間)私は、ひとりです。
山崎   そうかね。
――― 山崎、また何気なく窓の外を見ている。
山崎   来た。
松庭   は。    
てい
山崎   あれも、町人体をしているが、武士だ。土佐者らしい。……松庭君。
松庭   はい。
――― 松庭、素早くその男の人相を書き留めている。見事な筆致である。




                                    5 ▼ ▲
――― 先斗町。谷三十郎が、酔って芸妓・小染の手を取って口説いている。
谷    なあ、小染。いいかげん、わしのものになれ。
小染   へえ、おおきに、そのお気持ちだけで嬉しおす。
谷    またそのようにはぐらかす。わしがおぬしに惚れて通うようになって、どの位
     経つと思っておるのだ。茶屋遊びにしてはずいぶん、金も使ったぞ。
小染   ………。
――― 小染、野暮な事を言う、と鼻白むが黙っている。
谷    な。わしの女になれば、何の不自由もさせぬ。わしは新選組の中でも、副長の
     土方に次ぐ、組頭という幹部の一人だ。月々の手当てもよいし、堂々と屯営外
     に休息所を持てる身分だ。小奇麗な、気に入った家を借りてやろう。夜勤の時
     以外は、毎夜そこに帰る。決して、可愛いお前に寂しい思いはさせぬ。
小染   ほほ。その休息所、あちこちにこさえてはって、お忙しいのと違いますか。
谷    そんな事はない。お前がうんと言ってくれるなら、他の女どもとは、すっぱり
     手を切る。今後は目もくれぬ、約束する。
小染   京には、他にもきれいな女子はんがぎょうさん、いてはりますし。
――― 暗に、何も私でなくても、という意味がある。しかし、谷にはわからない。
小染   それに先生。新選組はああいうお仕事どすし……、今はようても、いつ危ない
     目に会わはるかもわからしまへんのやろ。うち、家でじいっと旦那さんの心配
     してるのん、かないまへんわ。
谷    いや、わしは新選組の中でも特別なのだ。
小染   とくべつ?
谷    そうだ。わしの弟、周平は近藤局長の養子になっている。いわば、局長とは親
     戚筋といっていい。
小染   へえ、そうどすか。
谷    だからわしは新選組の中でも、粗略にされる事はない。むしろ、他の組頭より
     一段と重んじられておる。わしの女になって損はないぞ。
           
かわず
小染   (井のなかの蛙やなあ……。親類縁者の位、権勢を誇る家柄いうたら、この京
     には掃いて捨てるほどおいやすえ。たかだか、田舎剣客の養子がどないや言う
     のん。)
――― 小染、微笑している。
                  
げいこ
小染   せっかくどすけど……うち、芸妓のお商売が好きどすねん。今は旦さんを持っ
     てひかしてもらう気になれしまへんのどす、かんにん。
谷    ううむ。
――― 谷、苦い顔で杯をあおる。小染は話題を変えようとして、
小染   そうや……新選組いうたら、確か先生の所に、松田はんとかいうお人がおいや
     すのやおへんか。七番隊の組下やいうといやしたえ。
谷    松田?……ああ、松庭柳一郎か。
小染   へえ、まつば、はん。そうやそうや。
谷    
(不快な顔をして)松庭が、どうかしたのか。
小染   へえ、せんに……そちらの原田先生や、斎藤先生に連れられて、おこしやした
     んどす。
谷    聞いたことはある。
         
スイ
小染   えらい、粋な御方どっせ。唄や踊りがほんまに上手で……ええとこの坊ンみた
     いに、はんなりとしたとこがよろしいなあ。昔、何をしてはったお人どす。
谷    知らん。たかが、平同士だ。
小染   おかげで、賑やかで楽しいお座敷どしたえ。
――― 痛烈な皮肉である。
谷    ………。
小染   谷先生の組下のお人やったら、またお連れしておくれやすな。
谷    貴様、松庭なんぞに惚れたのか。
――― 谷、杯を投げ落とす。
小染   なんどす、急に……。
谷    うるさいっ。
――― 谷、立ち上がる。小染はまさか松庭の事が谷の逆鱗にふれたとは知らない。
谷    面白くない、帰るぞ!




                                    6  ▲
――― 一条堀川。染物屋の小女が、山崎と松庭に夜食のうどんを運んでくる。
小女   どうぞ、おあがりやす。
山崎   おお、こらえらい、すんまへんなあ。ほっほ、うまそうや。
――― 山崎、別人のように柔和な上方商人の演技をしている。
小女   まだ、お目当ての人は見つからしまへんのどすか。その、お客はんのお店がだ
     まされはったとかいう……。
山崎   へえ。何せ、うちとこの江戸と大坂の店から、四百両の借金踏み倒して、ゆく
     えをくらましたほどのふてぶてしいやっちゃ。何としてもはよう、首根っこつ
     かまえんとあかんのやけどなあ。店の恥になることやさかい町方にも届けられ
     へん、何とかわてらで見つけて、うまいことカタをつけて来いいうて、旦那様
     もえらいご催促や。
小女   へえ。
山崎   そやけど、手掛かりはあの、「たけもと」いう料理屋に出入りするのんを、見
     かけたもんがある、いうだけのこっちゃ。雲をつかむような話でどんならん。
          
えどだな
     こうして、江戸店の方からもわざわざ、人が来てくれはったいうのに、わかり
     まへんでは面目が立てへんがな。
小女   難儀な事どすなあ。
松庭   ねえさん、すまねえ。厄介をかけるな。
――― 松庭、さり気なく心付けを渡す。
          
こうのいけ
小女   いや、……鴻池
(大坂の豪商)はんからの、大事なご紹介のお客はんどす、
     こんなん、してもらわへんかて。
松庭   いいから、とっておきねえ。一度出したもんは、引っ込められねえよ。
山崎   そうや。江戸のお人に恥かかせたらあかんで。皆に内緒で、とっておいたらよ
     ろし。
小女   へえ、おおきに。
――― 小女、階下へ下りていく。山崎、松庭の顔を見てくすっと笑う。
山崎   この任が終わったら、あんたを探索方にもらいたいよ。
松庭   しかし、なぜ新選組の公用というのを明かさないのです。この店は所司代(京
     都における幕府の公的機関)のご用達もつとめていると聞いていますが。
山崎   いや。あんたにはわからんかもしれんが、京者の、ことに女は口が軽くてね。
         
けど
     向かいに気取られないためには、言わぬに越したことはない。
松庭   周到なことだ。
山崎   新選組の名をふりかざすのも、よしあしだからな。
松庭   はあ。
――― 山崎、さっさとうどんを食べおわり、また格子窓から目をこらしている。
山崎   あの男……。
松庭   は。
――― 松崎が目をやると、一人の武士が通りを「たけもと」の方へ歩いて来る。
山崎   佐賀藩の提灯をさげている男さ。勝田遠之進というらしい。探索を受けない藩
     士の身分を利用しつつ、このところしきりにうさん臭い連中と密会している。
松庭   勝田……。
山崎   佐賀は表立って倒幕を叫ぶような藩情ではないが、どこにもはねっかえりはい
     るらしい。江戸言葉を話すところを見ると、おそらく、江戸にいて倒幕論にか
     ぶれたんだろう。今は長州、土州系の過激浪士どもと気脈を通じている、と私
     は見ている。顔を描いておいてくれ。
松庭   は……。
――― 松庭、筆を走らせ始める。しかし、その手がわずかに震えている。


――― 「たけもと」の奥座敷。その勝田遠之進が入ってくる。中に、町人風に変装した
   浪士が二人。
浪士1  外は、何か変わったことはなかったか。
勝田   ああ。見張りや捕り方はいないようだ。
浪士1  しかし、昨今の京は、やりにくくていかん。不用意に出て歩くと、見廻組、新
     選組、守護職に所司代の手先と、幕府の犬どもがうようよしている。
浪士2  ああ。会合を持つのも命懸けだ。だが今日、天下の形勢をいち早く察知するに
     は、やはり政治の中心、京・大坂だ。何しろ将軍自らが、長州を討つ準備のた
     めに上方に腰をすえている。
――― 幕末、もっとも過激な尊皇攘夷論をかかげ、朝廷に接近し、幕府に反抗的だった
   長州藩は、その隆盛に反発した薩摩・会津の政略によって政治の表舞台から追い落
   とされ、翌年の元治元年には挙兵して京都政権の奪回をはかったが、敗走している
   (禁門の変)。今や「朝敵」の罪名を着た長州を討伐して、この機につぶしてしま
   え、という幕府の論調が高まっている時節であった。
浪士1  いまどき、国内でいたずらに時や軍費を浪費している場合ではない。本格的な
     長州征伐などの内戦をやっていたら、異人につけこむ隙をくれてやるようなも
     のではないか。腐りきった幕閣の阿呆どもには、それすらわからんのだ。
浪士2  新選組の局長近藤勇などは、昨年の池田屋での騒ぎ以来、すっかり天狗になっ
     て、重役気取りで「長州討つべし」と幕閣にもの申しているそうだ。たかが人
     斬りの親方などに意見を言わせているようでは、幕府も先が見えている。
浪士1  しかし、その人斬りどものために、同志を度々失っている。奴ら、時勢も見え
     ぬ馬鹿のひとつおぼえだけに、始末におえんよ。浪士と見れば、斬って捨てれ
     ばよいと思っている。
勝田   まあ、まあご両所。
浪士1  勝田君。君は、藩士としての身分に守られているからまだましだが、われわれ
     浪人には、たまったものではないぞ。いつ斬られて路上に屍をさらすか、わか
     らんのだ。
勝田   私に、ひとつ心当たりがある。
浪士1  何だ。
勝田   まあ、手は打ちますよ。
――― 勝田、にやりと笑って杯を干す。


               次回 (三)へつづく
                                    7 ▲

 次の章へ(三)へ進む

  前の章へ(一)へ戻る

   トップページへトップページへ戻る