![]() |
第 15 回 |
こぬか雨 |
(六) 花 の さ と |
1 ▼ ─── 京へ着き、仮同士として斎藤一の三番隊に従って数日後、和弥は、脱退をはかっ た同じ新参の某という隊士を、潜伏先の空き家に追い詰めている。 斎藤 小木君。 ─── 斎藤の低い掛け声を合図に、無言で踏み込み、男を袈裟懸けに斬った。相手は一 太刀で絶命している。 斎藤 ほう。 ─── 斎藤と、同行していた監察の山崎が感心した。 山崎 手慣れたもんやな。 小木 いや……まぐれです。 斎藤 嘘だな。初めての手並みじゃない。 山崎 そう。斎藤さんは、隊でも屈指の剣客だ。ごまかすことはできんよ。 小木 食えない頃は……つまらぬ事で斬り合いもしました。 斎藤 ふむ。 小木 しかし、なぜこの男……脱走など図ったのでしょう。私と同じく、せっかく入 隊したばかりだというのに。 斎藤 入ってみたものの、実際の厳しさでこわくなったかな。 山崎 違うな。 ─── 手さぐりで死体の検分をしていた山崎が、かがんだまま言った。 斎藤 何が。 山崎 この男、食わせもんや。トキンに通じようと、江戸の仲間からの紹介状を持っ ている。 和弥 トキン、とは……? 山崎 土佐勤王党さ。武市半平太、坂本龍馬、中岡慎太郎……土佐の倒幕派の巣窟で この京都にも大物小物がちょくちょく入り込んでいる。 和弥 この男……新選組に入隊しながら、倒幕方にくみしようとしたのですか。 山崎 江戸からの道中の路銀をまるまる新選組にしょわせて逃げようとしよった。 斎藤 逃げおおせると思ったのかねえ。 和弥 ………。 ─── 和弥は、死体の顔を複雑な思いで見下ろした。それは、江戸で和弥を入隊応募に 誘ったあの浪人であった。 ─── 土方は、屯所で山崎の報告を聞いている。 土方 そうか。 ─── 自分が引き連れて来た新入りの中から最初の脱落者を出したことで、土方は不機 嫌になっている。 土方 (あの男を選んだのは、伊東甲子太郎だったな。勤王屋どうしで気が合ったと いうわけか。) ─── が、土方はそういう言い訳をしない。 土方 そういう不心得者を入れたのは、俺の責任だ。手数をかけた。 山崎 いや……。しかし、同じ入隊者の中でも小木という男……。若いが、なかなか のものでした。初仕事というのに、顔色ひとつ変えずにやりましたよ。 土方 ほう。 山崎 土佐勤王党の武市、坂本らの名が出ても変わった様子はありませんでした。 土方 死んだ加納と同じ穴の、ということはあるまい。もしそうなら、俺まで騙され たことになる。 山崎 は。 ─── 和弥は、三番隊の正式な隊士となった。 斎藤 思ったより早かったな。正式に同士となれば、手当てがきちんと出るよ。 和弥 ありがとうございます。 斎藤 まあ、先日の調子で、ばりばりやってくれ。 和弥 は。 ─── 和弥はほっとしている。 和弥 (斎藤さんの下なら、まずまずといったところか。) ─── 江戸からの道中、副長土方と参謀の伊東との間で、二大派閥が出来ているらしい ことはわかった。伊東は才子肌で人気もあるが、中途入隊である。やはり隊の実権 は、土方の手にあるらしい。三番隊長の斎藤は近藤土方の信任が厚く、純粋な大幹 部といっていいだろう。 和弥 (ああいう風に、出過ぎず才気走らず、しかも仕事に忠実だという男が新選組 では好まれるらしいな。) 2 ▼ ▲ ─── 回想。脱藩して間もない頃、雨中の道で強盗に襲われた。相手は武士で、見るか らに凄味のある男だった。 男 おい、若造。命が惜しければ、懐中の路銀を置いてゆけ。 和之助 (冗談ではない。これを取られたら……明日から生きてゆけぬ。) ─── やむなく、刀を抜いた。 和之助 (斬られて死ぬか、飢え死にするかの違いだけだ。) ─── そう覚悟した瞬間に、恐怖が去った。 男 馬鹿めが。怪我では済まぬぞ。 和之助 (この男、征一郎の腕には及ばぬ。) ─── 対峙するうち、大郷征一郎の長身が浮かんだ。 征一郎 (回想)あの日、お前は気力が萎えていた。無心になれ。技の鋭さは、お前が 俺よりもまさっている。 ─── 夢中で斬った。肩に浅手を受けて泥水の中に転がったが、気づいた時には、相手 のほうが喉笛を突かれて倒れている。その時になって、初めて震えが来た。しばら く死体のそばで雨に打たれながら、ぐったりと座っていたのを覚えている。 和弥 (あの頃にくらべると……我ながらずうずうしくなったな。) ─── 和弥は、隊から支給された小判を一枚放って、手のひらに受けている。 和弥 (酒でも飲むか。いや……) ─── 夕刻。和弥は西本願寺の屯所を出て、島原遊廓の方へ歩いた。途中、外出から戻 ってきたらしい土方と出会った。小者を一人連れているだけである。 和弥 あ……。(会釈する) 土方 小木君か。 和弥 お一人で外出ですか。 土方 君こそ、一人でどこへ行く。 和弥 はあ、あてはありません。 土方 この方角だと、島原か。 和弥 は……。何でもお見通しですな。 土方 若い男が京へ来て、考えることなど決まっている。 和弥 え? 土方 京女と寝ることさ。 和弥 (ややはにかんで)物はためし……と言いますから。 土方 登楼する店はあるのか。 和弥 いえ。初めて行くので…… 土方 ほう。なのに、一人で行こうとは度胸があるな。 和弥 私は……とっつきにくい方で、そう早く友人というものはできません。京は一 見を嫌うといいますが……まさか廓まで来る客を拒むことはないでしょう。そ んなに高い店に上がるつもりもありませんからね。 土方 ふむ。 ─── 土方は小者を振り返り、 土方 久助。先に帰っておれ。 久助 へえ。「す」文字どすか。 土方 そうだ。 ─── 小者は心得た様子で、和弥にも頭を下げて屯所の方へ帰った。 土方 小木君。供を頼む。 和弥 は? ─── 和弥はきょとんとしながら、土方の後をついて歩いた。そのまま、土方は島原の すみや 門をくぐり、廓内でも随一といわれる「角屋」に入った。仲居が丁重に、 仲居 これはこれは……土方先生。ようこそ、おこしやす。 土方 うむ。 ─── 土方は、仲居に小声で何か耳打ちした。 ─── 和弥は、案内された部屋で唖然としている。 和弥 なんと……筒見どころではない。 ─── 城下一の高級料亭も、この洗練の極みにはかなわない。 土方 筒見? ─── 丁度土方が入ってきて、聞き返した。和弥は、少し赤くなった。 和弥 は……あの、国元の料亭です。一度だけ上がったことが…… 土方 なぜ、赤くなる。 和弥 は。 土方 例の女と逢った場所か。 和弥 ……図星です。 土方 小木君、若い頃は経験が浅い。従って、見る世界も狭い。初めての女、初めて の場所……その時は、それが最高のものだと思い込んでしまうものだ。 和弥 は。 土方 しかし、君が物はためしと言った通りさ。これから何が起こるか、ここで待っ ていてみろ。 ─── 土方はにやりと笑って、退室した。 和弥 ……? ─── 和弥が所在無く待っていると、女が入ってきた。思わず目を奪われるほど華やか こうがい な衣装に身を包み、蒔絵のついた櫛、笄を飾った遊女が静かに座った。 和弥 あなたは……。 紫 紫どす。どうぞ、よろしゅう……。 和弥 部屋を間違えたのではないか。 紫 いいえ……。土方様からのお名指しどす。今宵は、小木様のお相手をするよう に、と。 和弥 俺の? 紫 へえ……。 和弥 お、俺は……太夫遊びをするほどの金は、持っていない。 紫 ほ、ほ、ほ。 ─── 紫太夫は、しのびやかに笑った。 紫 何もご心配はござりませぬゆえ、ゆっくりと、泊まってお行きやしたらよろし おす。すべて、土方様がよろしいようにしやはります。 和弥 えっ。 紫 その代わり、このこと内緒に……いうおことづけどすえ。 和弥 ………。なぜ。 紫 さあ……土方様のいたずらどすやろ。 和弥 いたずら? 紫 へえ。私も、そのいたずらに……乗ってみとうおした。 ─── 紫太夫は、微笑している。天女かと思うほどに美しい。 3 ▼ ▲ ─── 紫は物静かだが、心配りの行き届いた遊女であった。床入りの前に、和弥の緊張 をほぐしてやろうとしている。 紫 小木様は……都は初めてどすか。 和弥 ああ。 紫 慣れるまで、何かと戸惑うことも多うおすやろけど……住めば都、いうのんは ほんまのことどすえ。 和弥 話とは違う。 紫 話……? 和弥 うむ。俺は……江戸の吉原でもこんな大層な遊びをしたことはないが、格の高 い遊女というのは初めての客に肌を許さず、それどころか声もださぬ、と聞い た。京都の太夫といえば……それ以上に権高いのかと思っていた。 紫 そら、島原かて似たようなもんどすけど……。 和弥 そなたは違うというのか。 紫 いいえ。私も……眉一つ、唇ひとつ動かさへんこともおすえ。 和弥 土方先生の指図だからか。 紫 それもおすけど……太夫などと呼ばれていても、中身は女子どすさかいに。 和弥 今夜は、女子の気まぐれか。 紫 (微笑して)へえ。あなた様のお心……ほんの少うしでもぬくめてさしあげた い、と思いました。 和弥 俺の、心? 紫 へえ。廓は、男はんが心の湯治をする湯の里どすさかいに。 和弥 心の、湯治……。 紫 人は、疲れや痛みを、湯治場のお湯で癒します。そこを出たら、またおんなじ ようなせわしない暮らしが待ってるのんかもしれまへんけど……そのひととき 俗世を忘れてゆったりとお湯にひたることで、身も心も生き返ったような気が するのと違いますやろか。そのためにわざわざ、湯の里まで足を運ぶのと違い ますか。……私は、男はんにとって、女子のぬくもりも似たようなもんやない かと、そう思うております。 和弥 ………。 紫 あなた様は……熱いお湯でやけどをしやはったことがあるのやおへんか。 和弥 え。 紫 私は世間知らずゆえ、よう存じまへんけど……温泉いうても、千差万別やと言 いますえ。熱いの、冷たいの、丁度ええ頃合いの……色も匂いも、どんな効能 があるかということかて、さまざまやと聞きました。一つのお湯であかん、と いうて……懲りてしもうたら、つまりまへん。 和弥 は、は。(苦笑する)俺は確かに一度のあつ湯に懲りて、手近の銭湯にばかり つかっていた。……女もさまざま、試してみろということだな。 紫 へえ。じかに触れてみんと……お湯のぬくさはわかりまへん。 和弥 そなたは、ぬくいか。 紫 さあ……今夜はいつもより、ぬくいかもしれまへん。 4 ▼ ▲ ─── その後。和弥は陶然として、夜具の上に寝そべっている。 和弥 ………。 紫 どない、しやはりました。 和弥 いや。俺が今までしてきた女遊びなどは……子供だましだったような気がして いる。 紫 何の道にも、奥はおす。 和弥 そなたは、免許皆伝の達人か。 紫 まあ。(笑う) ─── 紫は和弥の額の汗をぬぐってやった。 紫 うち、今夜はお商売抜きで、あんさんに伝授しましたえ。 和弥 伝授。(笑う) 紫 そやけど、一夜かぎりの仮寝の相手では……あんさんの心のなかのお人には、 かないまへんなあ。 和弥 ………。 紫 心のなかに咲いた花は、いつまでも色あせんと、美しいままどすさかいに。 和弥 花、か。 ─── 和弥は目を閉じた。白牡丹の花に似た薫乃の姿が浮かんでいる。 紫 無理に、忘れようとせんかてええのと違いますか。恋の思い出は、それだけで 大事な宝物どすえ。 和弥 ………。 ─── 和弥の目尻から、つうっと涙が落ちた。つらい初恋のことで泣いたのは初めてで あった。紫はそっと和弥の手を握って黙っている。 ─── 和弥は、朝のうちに屯所にもどった。 斎藤 昨夜は、土方副長の使いで伏見まで行ったそうだな。 和弥 え……ええ、暇でぶらぶらしていたところに、声をかけられまして。 斎藤 それは災難……いやご苦労だった。ちゃんと寝たか? 和弥 (ぎくっとして)は。……ええ。疲れたので、ぐっすりと。 斎藤 巡察には出られそうかね。 和弥 もちろんです。 ─── 和弥はちょっとあわてた。 和弥 (寝不足で休んだりしたら……副長に何と思われるか。) ─── 支度をして庭に出ると、当の土方と出くわした。和弥は黙って会釈だけをした。 まさか、「昨夜は太夫遊びをおごっていただいて、ありがとうございました」など と挨拶できるわけがない。土方は和弥の顔を見ると、わずかににやっと笑っただけ ですぐに無表情に戻り、行き過ぎている。 和弥 (土方先生のいたずら……か。) 次回 (七)へつづく 5 ▲ |