月あかり
  その夜、小しのは座敷を休んだ。妹芸妓のかつ菊が、心配して訪れている。
 
「小しのさんねえさん……?
 
部屋に、灯がない。かつ菊はふすまを開けて、はっとした。小しのが三味線を
ひざに乗せて、ぼんやりと窓のそばに腰掛けている。そばに、飲み干したらしい
銚子がころがって、酒がこぼれて光っていた。
 
「………。

 
小しのが、窓の月明かりを背に、ゆっくりと振り向いた。

 
「菊ちゃん……か。」

「どない、しはったん。」
「うふ……。
 
  小しのは、酔いにまぎれて笑いをもらした。そのまま、また窓の外に顔を向けた。

 
「うちも、あほやなあ……」

「え?」
 
「なあ、菊ちゃん。男と女は……たんと好きになったほうが、負けやなあ。

 静かな声音である。
「ねえさん。」

 
「うちは、あのお人に……いいえ、自分に、負けたんや……あの人といる間、
 うちは芸妓である前に、ひとりの女に戻ってしもてた。きょうまで、
 芸妓の自分を忘れて、女の本心から、男はんに惚れてしもうてたんや。
 それやのに、正面からきっぱりと、妻にする女子がでけた、別れてくれ、言われたら、
 芸妓の意地がふうっと、頭をもたげて戻ってきたんや。
 ……ああ、このお人はうちと違う。

 やっぱり、うちを芸妓として見てはったんや、と思うたら、うちな……
 いやや、て泣いて止めることができひんかった……捨てられるのんがこわい言うて、

 すがりつくことが、できひんかったんや。
 阿呆らし。
 意地やなんて、何の……何の役にも立たへんのに。」

 
「………。」

 
  小しのは、ひっそりと泣いている。かつ菊はたまらなくなって、わっとその肩に

 抱きついた。小しのはかつ菊の手に、掌を重ねた。月が、小しのの濡れた頬を冷たく
 照らし出している。
 
 
                 (剣花のごとく・未掲載「花影」文中より抜粋)
 
 




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