落葉の時 |
深い季節が来て ふとまわりを見ると 寂しがる人が多いことに気づく その誰もが同じように、 本当の愛が欲しい、と口にする 愛が欲しいと言っても、 どうやらそれは相愛のことらしい そんなにうまくいかないのが愛というものだ、と 語りかけてもみたいけれど 寂しがる人ほど 固い殻にこもって容易には耳を傾けない 一歩外から見れば どんな殻を形づくっているのかは 案外に見えるもので、 ここだよ、と指し示すことは出来ても 無理に叩き壊すことはできないのだ やはり相応の時を経て 自らが、その殻を突ついて出てくることのない限り 何もせずに見ているほうがよいのだろう その殻こそが、 愛し愛されない理由を作っているのだということに 気づかないうちは まわりからどんなに暖めても冷やしても無駄なのだ 愛されることを願うよりも 愛することのほうがよほど幸せなのに 与えられるものを求めても そこには需要と供給のバランスがあって いつストップされるか、 または最初からノーと言われるかもしれないほど 儚いものだというのに 心のうちに溢れ出るものを育てることのほうが よほど確実で幸せな作業であるというのに ただ好きな人がそこにいるというだけで 大きな喜びであるはずなのに それらに気づかぬ人が 秋のせいにして寂しがっている 待つだけで得られるものは本当に少ない 安らぎのない関係に愛を見出すことも本当に少ない 今の私は 熱いほどに愛することが出来て感謝している その喜びも苦しみも 自ら選んだということをひそかな誇りに思う 激しい夏の思いがいとおしく遠ざかり 例えばこの先 上手な結末が得られなかったとしても 本気で愛したという輝きはどこかに残るだろう その一瞬ごとの輝きが 私が生きたことの証になるだろう そして私は 濃く紅く色づいた落葉を拾い 頁の間にはさんで 静かな眠りにつくのだ |