今は昔の君に
 
 
聞いてほしいことはたくさんあったんだよ
聞きたいこともたくさんあったんだよ
でも僕は君の顔を見るといろんなことを忘れてしまって
あの日とうとう
最も鋭く冷たい剣を選んで
君の胸を刺しつらぬいてしまったんだ
 
 
そうすることで
終わりの見えない哀しみの暮らしから
ひと思いに君を楽にしてやれると思ったんだ
それで終わると思ったんだ
僕に出来る最後のことはそれしかないと思っていたんだ
 
 
ひとことも言わずに死を迎えた恋だったけれど
それが息づいていた間は
僕は確かに君を愛していたんだよ
そう言ってあげればよかったと思ったこともあったんだよ
でもあの頃の君は
言葉にされた愛しか信じられない子供だったね
僕はその言葉を外に出すことで
ひと足先に大きな負傷をしたことがあったから
その危険さを知っていたから
どうしても言ってあげることが出来なかった
 
 
別れて楽になったのか
新たな苦しみを抱えただけだったのか
しばらくの間はわからなかったけれど
 
 
君は大きな傷を何時の間にか自分でいやして
突然僕の前にただ笑って立っていた
 
 
あの後いくつのことを乗り越えてきたのかは想像もつかないが
あの頃よりずっと自信に満ちて余裕のある笑顔に見えた
そしてその眩しい姿を見せることが
君が僕に対するささやかな報復だったのだろうと思う
 
 
驚く僕に悪戯っぽく笑いかけたことの意味は
「逃がした魚は大きかったでしょ?」
という小さな勝利宣言ではなかったのかい
 
 
でも君はやっぱり僕を許してくれるまでに
長い時間を費やしたのだろう
そしてどこかにあの苦しい日々の思い出を抱えて
変わってしまった僕と変わりもしない僕を
懐かしい瞳で見ていたのだろう
 
 
もう逢うこともないだろうね
お互いに少しでも幸せでありさえすれば
傷つけあったことも有効だったといえるのかもしれない
 
 
「綺麗になっていて驚いたよ
でもやっぱり年をとったね」
いろんな言葉をまたあの頃のようにしまいこんで
僕はなんだか照れ笑いをしながら
君がスカートを翻して
小刻みにステップを上がってゆくのを見送っていた
 
 
 
 




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