第 1 回

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序 章   若  気

                                       1  ▼
      (一)

─── 多摩。歳三、十五才。江戸の奉公先をクビになって、石田村(現・日野市石田)
   の生家で手伝いをしていたが、当主の兄・喜六が口やかましいので、ほとんど家に
   はおらず、姉おのぶの婚家である日野名主、佐藤彦五郎の家に居候をしている。そ
   の佐藤家に、喜六が来ていた。
彦五郎  歳さんは、どこへ行ったのかな。
おのぶ  さあ……
喜六   俺が来たんで、逃げ出したんだろう。まったく、仕様のねえやつだ。
おのぶ  あの子には、あんまりやかましく言ったってだめですよ。
喜六   甘やかしたら、行く末ろくなものにならねえ。いずれまた、どこかへ奉公にや
     るつもりだ。あきんどにでもならなきゃ、一人で食っていけるあてもねえから
     な。
おのぶ  あの子が、人に頭をさげる仕事ができるかしらねえ。
彦五郎  いや、歳さんはあれでなかなか、如才がないよ。
喜六   一生、ひとりもので本家に置いておくのもかわいそうでねえか。
おのぶ  じゃ、婿にやるの。
喜六   兄貴が見つけてくるようなところは、どうせ百姓だろう。百姓家の婿養子なん
     ざ、まっぴらだとぬかしゃがった。罰当たりめが。
彦五郎  武士になりたい、と言ったそうだね。
喜六   大それた奴だ。あんなんじゃ、同心株を買ってやったところで、上役とうまく
     やれっこねえ。
おのぶ  やれやれ。
彦五郎  養子と言えば……。近藤先生が、養子をお迎えになるそうだな。
喜六   江戸の師匠が?
彦五郎  うん。上石原の宮川のところの三男で、勝太という子らしい。
おのぶ  いくつです。
彦五郎  十六だそうだ。
喜六   ほう。歳と一つしか変わらん。
彦五郎  周助先生がぞっこん惚れ込んだというからなかなか肝のすわった子供らしい。
     家に入った泥棒を、兄たちに指図して見事捕らえたそうだ。
喜六   はあ。立派なもんだ。歳とはえらい違いだ。
彦五郎  士官は無理でも、そういった道もある。歳さんにも、武術を修めさせてはどう
     だね。
喜六   とんでもねえ。あれ以上暴れ者になったら、手に負えねえ。
─── 歳三、部屋の外で立ち聞きをしている。ふてくされたような顔をしている。



                                    2 ▼ ▲

─── その数日後。天然理心流の宗家、近藤周助が、その勝太という少年を伴って佐藤
   邸の道場に、出稽古にやってきた。母屋で、彦五郎に挨拶をしている。歳三はそれ
   となく、障子の影で様子を窺っている。
歳三   (どんなつらか、見てやる。)
─── 歳三はのぞき見て、ふっと笑いそうになった。
歳三   (へ、できそこないの仁王様みてえな顔だ。)
─── 勝太という少年は、周助の隣で神妙にしている。頬骨が高く、鼻筋はいいが、眉
   と目は細く、ぐっとつりあがり、大きな口がへの字に結ばれている。角材をかんな
   で削って、ノミで目鼻を彫り込んだような顔つきだった。
周助   これが、わが養子となる勝太だ。まだ目録を取ったばかりの若輩だがね、ぜひ
     彦五郎殿へもお見知りおき願いたいと、連れて来た。
彦五郎  十六で目録とは、すごいですな。
周助   器用ではねえが、天分はある。いずれ、四代目となる男だよ。
─── 周助、目を細めている。
彦五郎  勝太さん。我が家と思って、懇意にしてくだされ。
勝太   よろしく、お願い申し上げます。
─── 声が、顔に似ず高く、よく通る。
彦五郎  泥棒退治の武勇伝は、聞いておりますよ。
周助   それよ。
─── 周助は、わがことのように自慢した。
周助   父の不在の夜にな、刀を持った賊が忍び込んだ。これの兄二人も多少の心得が
     あるからすぐに構えをしたが、この勝太がの、「今討ってかかっては、むこう
     も気が立っているから危ねえ。怪我をするとつまらねえからもうちっと待て」
     と言う。それで、奴らが仕事をしている間じっとこらえて、さてやれやれ、お
     宝もいただいたと、ほっと気のゆるんだところを真先に飛びかかったっていう
     こった。賊は驚いて、ほうほうの体で逃げ出し、家族も金品も無事さ。
彦五郎  ほほう。それは、すごい。頼もしいですな。
周助   俺は、その度胸と知恵に惚れたのよ。
─── 部屋の中からは、なごやかな笑い声が漏れてくる。歳三はふん、と思った。
歳三   (俺にだって、その位のことはできらあ。)
─── こと、喧嘩にかけては同じ年頃の者には負けない、と強烈に思っていた。ただ、
   大人たちに認められる機会がないだけだ。
歳三   (隣村の正吉とやった時だって、俺ァ、その手は使ったぜ。)
─── 数年前のことだが、正吉は評判の乱暴者で、体格も大きく、歳三よりは三つも上
   だった。わがもの顔で石田村までのしてきては、これみよがしに不動尊の賽銭や、
   柿などを盗んで帰る。ある日も、村の子供らを蹴散らして、賽銭泥棒をしたあと、
   ご神木に向かって悠々と小便を始めた。その木の上から、隠れていた歳三が飛び降
   り、まず急所を蹴り、棒切れでさんざんに打ちのめしている。それっきり、来なく
   なった。だが、村の誰もそれを知らない。
周助   この家のバラガキ
(暴れん坊)は、どうしたかな。
彦五郎  さて。気ままにしておりますからな。
周助   
(笑って)さっきから、その影にひそんでおるわい。
歳三   (げっ。)
─── 周助、からっと障子を開けて、歳三の襟をつかむ。小柄なくせに、強い。
周助   盗み聞きとは、感心せんな。
彦五郎  歳三、挨拶しなさい。
─── 歳三、しかたなく畳に手をつく。
彦五郎  勝太さん、これは家内の弟で、歳三といいます。あんたより一つ下だが、仲良
     くしてやって下さい。
歳三   (何が、仲良くだい。)
勝太   宮……いえ、島崎、勝太です。よろしく。
─── 勝太は、周助の実家の性をもらっている。後に島崎勇、さらに近藤勇。
周助   相変わらず、近所のガキどもと喧嘩ばかりしておるらしいの。
─── なるほど、歳三の顔や手に擦り傷のあとがある。
歳三   ………。
周助   いつまでも、子供ではあるまい。どうだい、おめえもここの道場で、真面目に
     撃剣の稽古でも始めなよ。
歳三   ………。
周助   筋がよけりゃ、この勝太同様、ひとかどの剣客になれるよう、教えてやっても
     いいんだぞ。
歳三   へっ。
周助   何が、へ、じゃ。
歳三   田舎剣法の先生なんざ、別になりたかねえや。
彦五郎  こらっ。
周助   じゃあ、何になる。
歳三   武士さ。俺ァ、立派な侍になりてえ。
周助   ほほう。
歳三   同じ習うんなら、江戸のお玉ヶ池の、千葉周作道場にでも行くさ。そこで塾頭
     にでも師範代にでもなって、どっかの侍に取り立ててもらうんだ。天然理心流
     じゃコソ泥を追っ払うのがせいぜいで、出世の見込みなんざあるもんか。
彦五郎  歳三、口をつつしめっ。
─── 日頃はやさしい彦五郎が、怒った。しかし、周助は大声で笑いだした。
周助   わっはっはっはっ。
彦五郎  先生、あいすみません。
周助   こわっぱめ、言いおる。はははは。



                                    3 ▼ ▲

─── 歳三は川原にいる。彦五郎にお説教をくらったあと、道場で稽古が始まったため
   に一人、かやの外になった。そろそろ夕刻である。
歳三   ちぇっ、面白くもねえ。
─── 歳三は、周助が嫌いではない。近在の尊敬を集めながら、威張ったところがなく
   面白い剣客だと思っていた。ところが、あの勝太のことでむしょうに、むかっ腹が
   立った。ひがみである。嫉妬といってもいい。
歳三   木彫りのでくめ。
─── 勝太という少年は、歳三の悪態にぎろっと鋭い目を光らせただけで、何も言わな
   かった。周助や彦五郎に遠慮したのだろう。じっと我慢していた。
歳三   売られた喧嘩なら、買いやがれっ。
─── 歳三は、川面にむかって石を投げた。背後で声がした。
勝太   おい。
─── 歳三、ぎょっとしてふり返る。稽古着姿の勝太がぬっと立っている。
勝太   買うよ。
歳三   何。
勝太   喧嘩を、買う。歳三さんとやら……大名主の弟だと思って、いい気になりなさ
     んな。
歳三   何をっ。
勝太   天然理心流が、おめえが馬鹿にするほどのもんかどうか、見せてやる。
─── 勝太が、竹刀を投げてよこした。勝太も手に持っている。
歳三   おもしれえ。俺ァ、負けたことがねえ。
勝太   どこからでも、来いッ。
─── 歳三、竹刀を握って構える。むろん、我流である。勝太は、武骨なほど堂々と、
   正面から構えて立っている。
歳三   うおりゃああっ。
─── 歳三、飛び掛かる。打った、と思った。しかし、歳三の竹刀は空を切った。勝太
   が素早く、その横っ面をひっぱたいた。
歳三   うわっ。
勝太   きええーっ。
─── 勝太、ものすごい気合を発して、なおも突進する。歳三は胴をしたたかに打ち込
   まれた。骨が折れたかと思うほどの打撃だった。歳三は地に転んだ。
歳三   くそっ!
─── 歳三は転んだまま、瞬時に竹刀を突き上げた。剣術の技ではない。勝太がおっと
   と言って飛び下がった。が、反撃もそれまでである。あとは、面白いように勝太の
   竹刀が見舞った。
歳三   この、野郎……
勝太   ………。
─── 歳三はふらふらと立ち上がった。その時、土手の上から鋭い声が飛んだ。
周助   やめいっ!
─── 勝太がはっとして振り返った。周助が仁王立ちになっている。
勝太   先生。
周助   勝太。素人を相手に、なんだ。この卑怯者めっ。
─── 歳三のほうが先に腹を立てた。
歳三   素人とは、なんでえっ。爺イはすっこんでろ。
周助   ほっ。
─── 周助、ぷっと吹き出す。歳三がまだ元気なのがおかしかったらしい。
周助   やるんなら、素手でやれ、素手で。
歳三   おうよ。
─── 勝太はちら、と周助を見たが、竹刀を捨てて歳三に組みついてきた。あとはもう
   取っ組み合いである。周助は土手の上に座った。
周助   なかなか、しぶといわい。
─── 歳三も、強い。しかし、先程さんざんやられているのがきいたらしく、いつもの
   力が出ない。勝太もようやく疲れたのか、ぜいぜいと息を切らしている。
周助   それまで。
─── 周助、土手を身軽く飛び下りて、二人を分ける。
周助   気がすんだろう。
勝太   せ、先生……申し訳……。
(はあはあ言っている)
周助   まあ、いい。二人とも、座れ。
歳三   冗談じゃ、ねえや………。
─── 歳三、座る気力もなく、地べたに寝っころがっている。
周助   歳、わかったか。おめえは所詮、井の中のカワズだよ。
歳三   ………。
周助   もっとも、今は勝太のほうに一日の長がある。本気で修業すりゃ、どうなるか
     はわからねえ。それが、剣術の面白えとこだよ。さ、勝太……行くぞ。
勝太   は、はい。
─── 勝太、ふらっと立ち上がる。周助がごつん、と一つ、勝太にげんこつをお見舞い
   した。あとは二人、佐藤家の方へ去っていった。歳三は川の音を聞きながら、なお
   も寝ている。
歳三   ………。



                                     4 ▼ ▲

─── 日が暮れてからようやく佐藤家の勝手口へ帰ると、おのぶがすでに、食事の後片
   付けをしている。
歳三   俺の、めしは。
おのぶ  抜き。
─── おのぶ、ちら、と歳三のぼろぼろな姿を見たが、それっきり何も言わない。
歳三   ええっ。……そりゃあ、ねえよ。
おのぶ  自分のやったことを、考えるんだね。
─── こういう時は、彦五郎よりおのぶのほうがよほど厳しい。歳三は奉公人たちの方
   を見たが、皆あわてて目をそらした。おのぶに言い含められているのだろう。

歳三   ちぇっ。
─── 井戸で体を洗った。あちこちに青あざができており、さわれば飛び上がるほどに
   痛い。仕方なく水を飲んで、自分の部屋に戻った。


─── しばらく歳三は横になっていたが、猛烈に腹が減っている。ぐうぐう鳴った。

歳三   ちくしょう……。
─── やがて、廊下に人が来た。おのぶかと思っていたら、違った。
勝太   歳三さん、勝太だが……いいかい。
歳三   ああ。
─── 歳三はぎょっとしたがあわてて起き上がった。勝太が障子を開けて入ってきた。
歳三   なんだ。
勝太   これ、さ。
─── 勝太はお盆の上に大きなにぎり飯を二つ、乗せている。はにかむように笑った。
勝太   私と先生は御馳走になったが……あんたは、食いっぱぐれたそうじゃないか。
歳三   ………。
勝太   小腹がすいた、と言って……おかみさんに作ってもらったんだ。食べてくれ。
歳三   ………。
勝太   どうした、うまそうだぞ。
歳三   あんたが、叱られるこたあねえ。
勝太   いや、おのぶさんは、怒っていらっしゃらなかった。若いから、お腹がすくで
     しょうと言って、快く作って下さったんだ。俺が食うと思っているから、平気
     だ。
歳三   そうじゃねえ。周助先生にさ。
勝太   ああ、……
(照れくさそうに)いいんだ。あれは、俺が悪かったよ。ちょっと
     ばかり修業したからと言って、おごった真似をするなと……確かに、そうだ。
歳三   ………。
─── 歳三、むくれた顔をしている。が、その時はっきりとした音で、腹が鳴った。
勝太   
(笑う)無理しねえで、食えよ。
─── 勝太は笑うと、こわもての顔が人懐っこくなる。
歳三   ………。
─── 歳三は、礼も言わずににぎり飯をつかみ、たちまちのうちに食った。勝太は、湯
   飲みを差し出した。
勝太   これも、飲めよ。
歳三   なんだ。酒じゃねえか。
勝太   ああ。石田散薬は、これで飲むんだろ。
─── 石田散薬とは歳三の生家で製造している家伝薬で、酒で服用するのである。打ち
   身に効く。
歳三   ちぇっ、手回しがいいな。
勝太   俺も、飲んだ。稽古では何ともなかったが、あんたにだいぶん、やられた。
歳三   ……酒でか。
勝太   いや。俺は、酒が飲めない。仕方ないから、水で飲んだ。それじゃきかねえか
     な。
歳三   さあな。
─── 歳三は、にやっと笑った。
歳三   (なんだ。こいつ、こんないかつい顔して、下戸か。)
─── 歳三も実は、なめるほどしか飲めない。しかし、勝太の前ではそれを言いたくな
   かった。石田散薬を出して来てふくみ、湯飲みの酒をぐっとあおった。
勝太   すごいな。歳さんは、いける口だな。
歳三   (おや。いつから歳さんになった。)
勝太   俺は、あすも稽古に出るから、もう休む。これ
(と、お盆を持って)は返して
     来る。おのぶさんに嘘がばれたら、こわいからな。
歳三   ……すまねえ。
勝太   いいんだ。おやすみ。
─── 勝太、にこっと笑って障子をしめる。
歳三   あいつ……。
─── 案外いいやつじゃねえか、と思う間もなく、歳三は布団の上にぶっ倒れた。酔い
   が回ったらしい。


               
次回 (二)へつづく
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