楠本イネ 
 くすもと いね 

 
 
  文政10年5月6日、長崎にて生まれる。父はオランダ東インド会社の  

  日本駐在員として長崎出島でオランダ商館の医者をしていたフィリップ  

  ・フランツ・フォン・シーボルト、母は、楠本滝。  

  寛永年間出島にオランダ人が住むようになって以来、幕府はオランダ人  

  に単身赴任を要求し、そのため出島には多くの遊女が入った。その間に  

  生まれた混血児は多額の金銭をつけて里子に出されることが多かったが、  

  シーボルトはお滝とその子を出島のオランダ屋敷に住まわせ、イネは幼い  

  日々を両親のもとで育った。  

  文政11年、5年の滞在を終え、シーボルトは数年後に再来することを  

  考えて、一時帰国することになるが、この時シーボルトが、外国人が所有  

  することを禁じられていた物を多く入手し、国外に持ち出そうとしていた  

  ことが発覚し、関係者の逮捕、シーボルトの再来国禁止という結果となる。  

  シーボルトは野心があってのことではないと身の潔白を証明するために  

  帰化して日本のために働くことを長崎奉行に願い出るが、結局翌12年  

  国外退去となり、イネが2歳4ヶ月の時に父と別れることになった。  

  シーボルトは帰国後もお滝とイネに手紙や品物を送り、その中にはオランダ  

  語の入門書や医学書などもあったという。  

  別れて二年目、お滝はイネをつれて俵屋時次郎と再婚する。当時の世間は  

  混血児に冷たく、また短命のものが多かったというが、イネは自分の境遇  

  を知り、本を読み勉学に励むようになる。シーボルトは帰国にあたり、イネ  

  の養育を門人に頼んでおり、特に二宮敬作や高良斎にはそのために薬籠や  

  医書を与え、これらの門人がイネの生長の大きな支えとなった。  

  イネは宇和島の二宮敬作を訪ね、自分が普通の女の幸せを求めていない  

  ことや将来の相談などの話をしたといわれている。また19歳の時には  

  岡山の石井宗謙のもとへ行き、医学の手ほどきを受け産科の修行をした。  

  過去にも女の産科医はいたが、イネはオランダ語や解剖学も学び、後に  

  再来日のかなったシーボルトから自然科学も学び、日本で最初の西洋医学  

  を学んだ女医となる。  

  宗謙のもとで修行して六年目嘉永六年夏、イネが宗謙の手込めにあい懐妊  

  し、翌年2月、岡山で誰の手も借りず一人で出産したと、そのときに生ま  

  れたタカが回想として伝えているが、イネ自筆の履歴書と食い違いがあり、  

  真実はさだかではない。  

  安政元年、宇和島から長崎にきた二宮敬作が宗謙とのことを知り、イネを  

  自分の手元に引き取り修行させることにした。二宮について宇和島に行  

  ったイネはそこで村田蔵六と出会い、蔵六からオランダ語を学んだ。  

  安政5年、安政2年の日蘭和平条約により再来できることになったシー  

  ボルトの来日の知らせが届く。イネは二宮とその甥三瀬周三とともに長崎  

  へむかう。三人はお滝の営む油屋に同居し、医業をしながら来日を待った。  

  安政6年7月、シーボルトは29年ぶりに来日する。イネとシーボルトの  

  親子としての離れた日々の隔たりは結局埋めることはできなかったといわ  

  れるが、シーボルトはイネに医術を教え、また新しい医学が学べるように  

  オランダ海軍軍医による医学伝習に参加できるように取り計らった。  

  万延元年、イネの医者としての評判は上がり、宇和島侯から夫人の治療の  

  依頼を受け、翌年から毎年宇和島へ行き、市内富沢町三角屋敷で診療にあ  

  たった。娘タカも宇和島藩の殿中に御小姓として上がり、イネも度々藩主  

  から召し出され、厚遇されていたという。  

  慶応3年、タカは三瀬周三の妻となり、三瀬は明治2年大阪医学校の創設に  

  尽力する。この時、ちょうど京で大村益次郎の暗殺事件がおき、ここに運ばれ  

  手術をうけた。  

  明治3年2月、イネは東京に出て、築地で産科を開業し、明治6年イネが  

  47歳の時、宮内省御用掛となり、権典侍葉室光子の出産を扱った。  

  明治10年2月、イネは長崎に帰る。このときイネは51歳。  

  晩年イネは、異母弟ヘンリー・シーボルトが麻布仲之町に建てた洋館にタカ  

  母子とともに住んでいたが、狸穴に移り、明治36年8月26日、食中り  

  で急逝した。享年76歳。  

  墓は、長崎市寺町晧台寺後山にある。  




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