誠抄
第 3 回

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絵 筆 と 剣 と

                                       1  ▼
(三) 兄   妹


――― 探索中の山崎、松庭。
山崎   松庭君。きょうは、外でうまいものでも食うか。
松庭   は。
山崎   気晴らしだ。
松庭   いいのですか。
山崎   
(窓の下を指さして)何、すぐそこだ。
松庭   
(驚く)「たけもと」ですか。
山崎   驚くことはない。退屈した商人二人が、向かいの料理屋に飯を食いに行くだけ
     のことさ。この店のあるじから得意先だと紹介してもらうことになっている。
松庭   は。
山崎   今日は二階で大きな酒宴が入っていて、浪士どもの密会はないことがわかって
     いる。座敷に上がって、厠へ行くついでに手分けして間取りを調べておく。
松庭   それが、目的ですか。
山崎   そうだ。


――― 新選組屯所。巡察から戻った七番隊が、解散しながら何気なく、
平同士1 はあ、きついきつい。じきに春とはいえ、夜回りはこたえるよ。松庭さんがい
     ない分、人数が足りないしな。
平同士2 殿サンはどうしているかなあ。山崎監察と一緒じゃ、気骨が折れるだろう。
平同士1 いや、無口な同士で、案外気が合うかもしれないぜ。
平同士2 ははは。殿サンも山崎さんも、正体の知れないところは、似た者どうしだから
     な。
――― と、谷三十郎が物陰からそれを聞きとがめた。
谷    おい。「殿サン」とは、誰のことだ。
――― 平同士1、2ぎょっとする。谷が、怒りの形相で立っている。
谷    馬鹿者っ。
――― 谷、平同士2を殴る。
平同士2 く、組長。何をなさるんです。
谷    黙れっ。いやしくも、我々新選組は誰の家来でもない同志の集団である。しか
     も、仮に殿様とお呼びするとすれば、大恩ある会津公に対して使うべきではな
     いか。軽々しく朋輩のあだ名にするとは何事かっ。
――― 平同士1、2、口答えできず、怒りをためている。


――― 近藤の部屋。土方がいる。
近藤   忙しくなった。小笠原壱岐守様の広島行きに、我々が先発して出張せよとのご
     命令だ。
土方   幕閣の斥候か。あんたも、見込まれたものだな。
近藤   おお。まさか、長州までは入れまいが、西国の情勢をこの目で確かめてくる。
     歳さん、今度は長くなるが、隊の事を頼む。
土方   ああ。……誰と誰を連れていく。
近藤   参謀の伊東甲子太郎は、外せないだろう。彼は折衝事が得意だ。文筆、論説も
     人にひけはとらん。
土方   ………。
近藤   あとは、尾形俊太郎、篠原泰之進。表向きはこの四人で行く。
土方   (伊東の取り巻きばっかりじゃねえか。)
――― 土方は苦い顔をした。行く先々、ナンバー2の伊東にいいところばかりもってい
   かれるのではないか。
土方   表向き、とは。
近藤   現地でいろいろと動いてくれる者も欲しい。探索方として、監察の山崎君、吉
     村君を借りたいと思っている。
土方   あんたの影か。いいだろう。
近藤   山崎君の仕事は、どうなっている。
土方   これさ。
――― 土方、山崎と松庭の仕上げた調書を出す。
近藤   ほほう。見事なものだな。
――― 中には、山崎の事細かな調査報告と共に、松庭の描いた鮮明な人相書が載ってい
   る。
近藤   こりゃあ、一目瞭然だ。うん。すごいな。
土方   俺も驚いたさ。……これと同じものを書かせそれぞれの探索に配っている。お
     陰で、奴ら一人一人のの動きがたやすくわかる。
近藤   さすがだな、歳さん。
土方   近く、主だったところを潰そうと思っている。鼠退治を、やる。
近藤   やる、か。
(笑う)歳、やっぱりおめえは連れて行けねえな。
土方   いいさ。弁舌は伊東の領分だ。
――― 土方、調書を置いて、
土方   妙なことがある。
近藤   何だ。
土方   これを書いた、松庭のことさ。どうも、組頭の谷に憎まれているらしい。
近藤   ほう、なぜだ。人柄も温和だし、これだけの働きをする優秀な隊士じゃあねえ
     か。
土方   だからさ。七番隊の平同士の間では、組頭よりも松庭の方を慕うものがいる。
     その人気が面白くねえんだろう。
近藤   ふむ。
土方   俺も、その点を考慮してしばらく松庭を離してみたんだが、逆に雰囲気が悪く
     なっている。間をやわらげる者がなくなったからかな。
近藤   うーむ。
土方   昨日は、谷が平同士の一人を面罵して、打擲に及んだというんだな。
近藤   チョウチャク……。
土方   むかっ腹を立ててぶん殴ったのさ。松庭のあだ名の、殿サンというのが気に入
     らねえというんだ。馬鹿馬鹿しい。
近藤   ……下らん。たかがあだ名じゃねえか。
土方   そうさ。隊士たちは陰で、あんたの養子の周平を「御曹司」と呼び、ご落胤を
     自称する藤堂を「伊勢の若様」と呼んでいる。ただの洒落だぜ。それもわから
     ねえで人前で恥をかかせるようじゃ、若い者は当然ついてこねえよ。
近藤   ……わかった。谷君には、わしからも注意しておく。


――― 谷、憮然とした顔で自室にこもっている。
谷    くそっ、いまいましい。


――― 回想。近藤の部屋に呼ばれた谷。
近藤   谷君。人の上に立つというのは、難しいものだ。気に入らぬこともあれば、腹
     の立つこともある。しかし、それをあからさまにしては部下はついて来ない。
     そのつもりで、心を広く持ち、うまく導きまとめてゆくのが上役の度量という
     ものだ。
谷    ……お呼びだというので何かと思えば………。それがしは、部下の放言をたし
     なめたまでのことで、お叱りを受ける覚えはござらぬ。
近藤   叱るわけではない。忠告だ。つまらぬことで、隊内に不和を生んでもらっては
     困る。
谷    ………。
近藤   君は、私の縁戚だということで、たださえ無用のそねみを受けかねない立場に
     ある。少し、自重してくれたまえ。


――― 再び谷の部屋。隊の小者が、来客を告げにくる。
谷    客?誰だ。
小者   へえ、七番隊の松庭柳一郎はんにどす。
谷    
(むっとして)松庭は公用で留守だ。いつ帰るかもわからぬ。そう言って帰し
     てしまえ。
小者   そやけど、なんや江戸からわざわざ出て来はったいうて………妹さんや言うて
     ますねんけど。
谷    妹?……ほう。


――― 谷は興味を持ったらしく、西本願寺境内に女を待たせ、会いに行った。
おりえ  お忙しいところを、申し訳ございませぬ。松岡……いえ、松庭柳一郎の妹で、
     りえと申します。こちらに、兄がお世話になっていると聞き、よんどころない
     事情により、お尋ねいたしました。わざわざ、お越しいただいて……
谷    いや、何。屯所の中では、若い娘御はいたたまれぬだろうと思って、場所を外
     したのだ。
――― 谷、おりえの姿に視線を這わせている。年の頃は二十歳そこそこといったところ
   か。細身だが、すっきりとした美しい顔だちで、どこか松庭に似ている。
谷    あいにくだが、松庭君は隊の仕事で、某所につめてもらっておる。それがしが
     用件を承ってもよいが。
おりえ  さようでございますか。
(困ったような顔をして)……お気持ちはありがとう
     ございますが、何分、身内の話でございますので……できればじかに、会って
     話したいと存じます。
谷    そうかね。では、おりえ殿の逗留先だけでも伺っておこうか。松庭君が帰り次
     第、宿へ行かせよう。
おりえ  はい。ご親切にありがとうございます。
――― おりえ、ほっとしたように微笑する。


――― 山崎と松庭、命令によりその夜に帰営し、近藤と土方の待つ部屋に行く。
近藤   おう、両君。ご苦労だった。成果は上々のようだな。
――― 山崎、松庭、頭を下げる。
近藤   わしも見せてもらったが、見事な調べだった。後は、浮浪どもを捕らえるだけ
     だな。
山崎   は。連中が一同に会する機会を、何とかしてつかもうと思いましたが……向こ
     うも警戒しているらしく、二人、三人と密会するだけで、なかなか……。
近藤   池田屋の例がある。それだけ、我々を恐れているということだろう。
山崎   は。
近藤   山崎君。戻ったばかりのところ早速ですまないが、わしの芸州行きに力を貸し
     てほしい。
山崎   は。隠密裏にご同行すればよろしいのですな。
近藤   そうだ。わしは、幕府の命で出張する。役人たちと一緒で、身動きがままなら
     ぬかもしれんからな。詳しいことは、吉村貫一郎君に伝えてある。
山崎   承知しました。では。
――― 山崎、すっと立って行く。松庭も一緒に辞去しようとするが、
土方   ああ、松庭君。君は残りたまえ。
松庭   は。
――― 松庭、やや緊張したおももちで座りなおす。
土方   この度は、ご苦労だったな。
松庭   は、いえ。お役に立ったかどうか。
土方   山崎君の報告では、なかなか堂に入った変装ぶりだったそうじゃないか。
松庭   いえ……。私など、ただ山崎監察のご指示に従っていただけです。
――― 松庭、本気で照れている。
近藤   いやいや。店の奉公人達も、江戸のあきんどと信じて疑わなかったそうだな。
     君に見そめられようと、やけに親切にする女も二、三人いたと聞いている。い
     い娘はいたかな。
松庭   と、とんでもない。
――― 近藤と土方、笑う。
土方   近く、この探索であがった者たちの捕縛に向かう。もちろん、君にも加わって
     もらうつもりでいるが……その働きいかんでは、配置替えも考えている。
松庭   配置換え……とは。
土方   七番隊よりは忙しくなるかもしれん。まあ、楽しみにしていたまえ。
近藤   そうだ。わしも、成果を期待している。長旅から戻った時、いい報告を聞きた
     いものだな、松庭君。
松庭   は……ありがとうございます。精進してつとめたいと存じます。
――― 松庭、深く礼をして去る。
近藤   いい男だな。おごったところがない。
土方   ああ。こう言っちゃなんだが、実に使いでがある。
近藤   総司の目は、確かだったということだな。今度手柄を立てたら、当初の希望通
     り総司の一番隊に入れてやろう。
土方   山崎も、欲しいと言っていた。
近藤   ははは。


――― 松庭、組頭の谷に挨拶に行く。

松庭   谷先生。ただいま、戻りました。
谷    ああ。探索方の真似事か。ご苦労。
松庭   ………。
谷    しかし、副長のお声がかりがあったからといって、いい気になってもらっては
     困る。本来の職分を忘れんことだ。
松庭   は。
谷    明日からはまた、市中巡察に戻ってもらう。従来通り私の指示に従うように。
松庭   かしこまりました。
谷    ああ、松庭君。
松庭   は、何か。
谷    いや。……今日は、お疲れだろう。いずれ、また。
――― 谷は、とうとう妹のおりえの事を話さない。ちょっとした意趣返しのつもりらし
   い。



                                                     2 ▼ ▲
――― 近藤らは旧暦一月二十八日、芸州広島へ出立している。土方は、隊士を集めて言
   った。
土方   いいか、諸君。近藤局長不在とみて、新選組の士気が緩んだなどと、あなどら
     れてはならん。尚一層、任務に身を入れてもらいたい。局中法度に違背する者
     は、局長のお帰りを待たずとも厳しく処分する。そのつもりでいてくれ。
――― 土方は難しい言葉は使わない。しかし、その分行動で示す男だから、自然に隊士
   達は粛然とした。
土方   斎藤君、原田君。それに……谷君。来てくれ。
――― 土方は、三人の組長を自室に呼び、図面を広げて打ち合わせをした。
土方   かねて探索中の、土佐、長州系の浪士どもの巣を潰す。征長再戦に向けて、奴
     らの諜報が活発になってきている。これ以上泳がせておいては、禍根を残す。
斎藤   は。
土方   一条戻り橋に近い料理屋の「たけもと」に、斎藤君の三番隊、谷君の七番隊。
     河原町四条の旅籠「播磨屋」に、原田君の十番隊が当たってもらう。今夜、そ
     れぞれに会合があるはずだ。時刻は四ツ。
――― それぞれ、うなずき合う。


――― その時が来た。料理屋「たけもと」である。斎藤隊と谷隊はそれぞれ、表と裏に分
   かれ、二階で
密談中の浪士七名を襲撃した。
浪士   う、うわっ、新選組だっ。逃げろ!
――― 浪士たちは慌てて逃げ出し、新選組は内と外に、三名ずつのかたまりとなって追
   っていく。騒然となった。
谷    松庭君。君はこの家を探索したはずだ。案内したまえ。
松庭   はっ。
――― 谷、松庭、それに平同士の吉田が、既に暗くなった屋内をがんどうを手に進む。
松庭   谷先生、その奥が納戸です。中にひそんでいるかもしれません。
谷    わかった。
――― 松庭が、そっと納戸の戸を開けた。膳や、食器、座布団など雑多な物が奥につま
   れている。その直後。
吉田   あっ……うわあっ!
――― 物陰から一人の浪士が飛び出し、吉田ののどを斬った。がらがらと陶器の割れる
   音がした。
松庭   うぬ!
――― 松庭が剣をふるったが、相手と刀を打ち合わせただけで、仕留めていない。前へ
   出て、浪士と対峙した。
松庭   谷先生、援護を頼みます。
谷    よし。
――― 谷が、松庭の背後に廻った。新選組独自の戦法で、たとえ先手がし損じても、後
   詰めの者が間を置かず斬りかかる。
浪士   幕府の、犬め。恥を知れ。
松庭   ………。
――― 浪士も、二人相手とみて容易に仕掛けてこない。その時、異変が起こった。松庭
   の後から、積み上げてある塗りの膳が音を立てて崩れかかったのである。松庭はは
   っとして体勢をわずかに崩した。その刹那、浪士が斬りかかり、松庭は太股に傷を
   負って転倒した。
松庭   くっ……!
――― 松庭も必死で、転びざま浪士の胸を突いた。
浪士   うわっ。
松庭   谷先生、とどめを。
谷    ………。
――― 谷が、暗がりで抜刀している。松庭はその時、背筋にぞっと殺気を感じた。
松庭   ………。
――― 松庭は渾身の力を込め、片膝を立てて刀をなぎ払った。起き上がろうとしていた
   浪士は脇腹に二の太刀を受けて、昏倒した。松庭がとどめをさそうとすると、初め
   て谷が刀を男の心臓に突き立て、絶息させた。
松庭   ………。
(荒い息をしている)
斎藤   おい、こっちは無事か。
――― その時、納戸の入り口から斎藤一が声をかけた。一瞬だが、谷がぎょっとした顔
   になった。
斎藤   お……怪我をしたのか。
松庭   わ、私より……吉田君が、そこに。
――― 斎藤、言われて明かりをかざし、吉田の側にかがむ。
斎藤   こりゃあ、だめだ。もうこときれている。
松庭   ………。


――― 松庭、戸板で屯所へ運ばれる途中、じっと考えている。

松庭   (なぜだ。なぜ、俺を……。)
――― あの時背後に感じた谷の殺気は、ひょっとして自分に向けられたものではなかっ
   たか。
松庭   (それよりもなぜ、不意に後ろから膳が倒れて来たのだ。まさか……。いや、
     考えすぎだ。)
――― 側を歩いていた斎藤が、声をかけてきてくれた。
斎藤   松庭君、痛むか。
松庭   は、いえ……。大したことはありません。こんなものに乗っからずともいい位
     です。
斎藤   そうか。何、名誉の負傷だ。気楽にしていたまえ。
――― 斎藤が親切な言葉をかける間、谷三十郎は傲然と、肩をそびやかして先頭を歩い
   ている。


――― 屯所。土方、憮然として斎藤の報告を聞いている。
土方   加藤に続き吉田もか。腕の未熟もあろうが、七番隊は組下の受難が多いな。
斎藤   松庭君のは、未熟のせいじゃありませんよ。荷が崩れてきて、不覚をとったと
     いうことです。
土方   わかっている。……谷さんは、敵と戦ったのだろうな。
斎藤   さあ……私が見た時には、谷さんが相手にとどめをさしている所だった。
土方   死人に口無し、か。今度は証言する者がいねえからな。
斎藤   は。
土方   谷にもし不審な振る舞いがあったとしても、松庭はあの性格だ。言うまい。
斎藤   でしょうな。私が彼の立場でも土方さんに上役の悪口は、言わんでしょう。
――― 斎藤、くすっと笑っている。



                                    3 ▼ ▲
――― 松庭、隊で療養中のところ、沖田総司がひょっこりと入ってくる。
沖田   どうです、具合は。
松庭   は。大げさに寝ているほどのものじゃありません。
沖田   そいつはよかった。医者の話では十日も安静にしていればいいとの事ですよ。
     滅多にない機会だから、のんびりしていて下さい。
松庭   はあ。
沖田   治ったら、配置替えです。松庭さんは、私の一番隊に来ていただくことになっ
     た。
松庭   え。そうですか、それは………沖田先生、よろしくお願いいたします。
沖田   こちらこそ、よろしく。松庭先生。
松庭   何です?私が先生なんて。
沖田   だって、絵描きの先生でしょう。
松庭   よして下さいよ。
沖田   私には、絵心なんてないからなあ。尊敬してるんですよ。
――― 沖田、松庭の異動が嬉しいらしく、にこにこ笑っている。
松庭   ………。
――― 松庭は正直言って、ほっとしている。谷の七番隊にいるのはこの先、気が重い。
沖田   何か不自由なことがあれば、今後は私に言って下さい。
松庭   ありがとうございます。
沖田   ばりばり働いてもらいますよ。松庭さん。
松庭   は……。


――― 後刻、隊士見習いの若者が、松庭の部屋に紙と筆、絵の具などを持って来た。

松庭   これは……?
見習い  沖田先生からの差し入れです。退屈でじっとしていられないと困るからと。
松庭   ………。
――― 松庭は微笑した。若い沖田は、新入りの自分に気を遣ってくれている。


――― 数日が過ぎた。隊で使っている小者が、沖田に手紙を持って来た。
小者   沖田先生、松庭はんは、こんど一番隊になったんどしたな。
沖田   うん。まだ寝ているがね。
小者   ほな、これ……渡してもらえまへんか。松庭はんへのお手紙どすさかい。
沖田   うん。誰からだい?……おや、女文字じゃないか。
――― 沖田、ちょっと顔を赤らめる。
沖田   いいのかな。恋文だったら、私からじゃ気まずい。
小者   かましまへん。それ、松庭はんの妹さんどすさかいに。
沖田   妹?
小者   へえ、せんに訪ねて来て、ずっとお留守どしたさかい、七番隊の谷先生におこ
     とづけをしたはずが、音沙汰がない言うて………。忘れてはるのと違いますや
     ろか。
沖田   ………。わかった。


――― 沖田、松庭の病室に行く。松庭が手すさびに描いた絵が、あちこちに散らばって
   いる。
沖田   うまいもんですねえ。
松庭   あ、これは。沖田先生。
沖田   見てもいいですか。
松庭   ええ……お恥ずかしいですが。
沖田   ふふ。
――― 沖田、絵の束を手に取る。いちいち、へえ、とか、ふうんとか声を上げて感心し

   た。人物の絵が多い。何気ない日常のひとこまをさっと書き留めたようなもので、
   どれも市井の生活が生き生きと描かれている。
沖田   生きているみたいだ。これなんか、泣き声が聞こえてきそうですよ。うちの姉
     の子供が、こんな顔をしていた。
――― 子守娘の背中でむずかって泣いている赤ん坊は、指の一本一本まで愛らしい。松
   庭は、照れくさいのだろう。なるべく沖田の顔を見ないようにしている。
沖田   ………。
――― 沖田がふと、中の一枚をめくって、息を飲んだ。それは、それまでの絵とは全く
   違っている。髪は崩れ、着物の裾は乱れ、幽霊のようにうつろな目をした若い女が
   呆然と立っている。腕に赤ん坊を抱いているのだが、その児の顔が、寝顔というよ
   りは明らかに死相であった。
松庭   あっ。これは、いかん。
――― 松庭がさっと、沖田の手からそれを奪った。
沖田   ………。
松庭   いや、失礼……不快なものをお目にかけました。……いや、その。昔見た、芝
     居の場面です。怪談ものですよ。
沖田   そうか。いや、驚いた。
松庭   はは……。
――― 松庭、その一枚を手でくしゃくしゃと丸めてしまう。
沖田   ああ、そうだ……松庭さんに、手紙を預かってきたんです。
松庭   私に?
沖田   ええ。妹さんだそうだが、本当かな。
――― 沖田、いたずらっぽく笑っている。雰囲気を変えようとしたのだ。
松庭   妹……。
――― 再び松庭の表情に暗さがよぎった。しかし、沖田は気づかぬふりをしている。



                                                     4 ▼ ▲
――― 松庭は、あくる日起き上がって、沖田に挨拶にきた。

松庭   沖田先生。ちょっと、足慣らしに外出をさせていただけませんか。
沖田   ええ。どちらへ?
松庭   鍵屋町の、鳴海屋という宿屋です。夕刻までには戻ります。
沖田   いいですよ。気をつけて。
――― 沖田は微笑した。「妹」という女に会ってくるのだろう。


――― その宿で、松庭は妹のおりえに会っている。
おりえ  兄さん……。
松庭   おりえ。なぜ、こんな遠い所まで来たのだ。
――― おりえ、泣いている。
おりえ  ごめんなさい。でも、おっ母さんの具合が悪いんです。
松庭   例の病か。
おりえ  ええ。もう、あと一、二年しかもたないだろうって……。どうしても、清四郎
     兄さんに会いたいって。探したのよ、兄さん。この三年、江戸中探したわ。
松庭   大げさにいうな。
おりえ  だって、あの火事の後、ふっつりと消えてしまうんですもの。恥をしのんで、
     浜松のご本宅にもきいてみたんですよ。
松庭   馬鹿だな。けんもほろろだったろう。
おりえ  ええ。清四郎はもう、当家から勘当、絶縁の身だと……育ててやった恩も忘れ
     て出奔した罰当たりなど、どこでどうなっても知らぬ、と……さんざんひどい
     ことを書いてよこしたわ。
松庭   だろうな。俺の後に生まれた娘には目もくれなかった家だ。それに……親父殿
     は死んだときいている。
おりえ  ええ。それ以来、おっ母さんへのお手当てもないし……今までの蓄えで細ぼそ
     とやっているんですよ。
松庭   路銀は、どうした。
おりえ  兄さんが、ところもわからないまま随分たくさんのお金を送ってくれるように
     なったじゃありませんか。それを貯めておっ母さんが、行ってくれと……。
松庭   そうか……しかしよく、俺の所在がわかったな。
おりえ  知らせてくれる人があったんです。
松庭   誰だ。
おりえ  兄さんが、江戸の塾で一緒だった友達の人よ。勝田、遠之進様。
松庭   勝田……!
おりえ  ええ。勝田様が、いま仕事で京都詰めになっている。夜道で新選組の見回りと
     行き合ったが、あれは清四郎に間違いない、確かめたほうがよかろうとお手紙
     を下さいました。兄さんが、松庭柳一郎と名前を変えていることまで調べてく
     ださったわ。
松庭   ………。
――― 松庭の顔から血の気が引いている。勝田遠之進は、あの「たけもと」で倒幕派の
   浪士どもと行き来していた佐賀藩士である。監察の山崎には、知己である事を言え
   なかった。下手に疑われでもしたら大変な事になるからだ。
おりえ  勝田様は、ここへも何度か来て、親切に相談にのって下さったんですよ。
松庭   ………。
おりえ  兄さん、新選組はいつ死ぬかもわからない、危ない仕事だそうじゃありません
     か。お願い、おっ母さんのところへ帰ってやって。せめて、一目だけでも会っ
     てやって。
松庭   俺は、江戸には帰らん。
おりえ  兄さん。そりゃあ、お夏義姉さんと、清坊には、可哀相なことをしたと思うわ
     よ。江戸に帰りたくない気持ちもわかるけど、でも、それとこれとは……。
松庭   黙れ。そのことは言うな。
――― 松庭、珍しく声を荒らげる。
おりえ  いいえ、二人は火事のせいで死んだのよ。あれはどうしようもなかったのよ。
     兄さんだけが悪いんじゃない、そうでしょう。
松庭   よせっ。
――― 松庭、苦しげに顔をゆがめ、立ち上がる。
松庭   金なら、送ってやる。医者でも薬でも、手当てしてやればいいだろう。しかし
     俺は帰らん。俺のことは、あの時死んだと思ってあきらめてくれ。
おりえ  兄さん!
松庭   俺はもう、松岡清四郎でも、絵師の竜斎でもない。新選組の、松庭柳一郎だ。
     こんな物騒な人斬りの往来している京になど、女が一人でいるもんじゃない。
     お前こそ一日も早く、母のところへ帰れ。
おりえ  いやです。兄さんが戻るまでは……
松庭   ばか。新選組は……一度入ったらやめることはできんのだ。局中法度として、
     「局を脱するを許さず」という決まりがある。破れば切腹だ。それくらい、勝
     田のやつに聞いたろう。
おりえ  でも、でも……事情を話せば……。
松庭   そんな甘い、泣き言の通用するところじゃない。だからこそ……俺は新選組に
     入ったのだ。……何もかも、忘れるためだ。
おりえ  ………。
松庭   いいな。俺はもう死んだのだ。江戸へ、帰れ。
――― 松庭、言い捨てて部屋を出ていく。



                                    5 ▼ ▲
――― 松庭が宿の庭を出ようとすると、木陰から声をかけたものがある。勝田である。
勝田   いよう、新選組。とんだ愁嘆場だったな。
松庭   
(驚く)勝田……。きさま、なぜここへ。
勝田   ご挨拶だな。お前の妹に、安全な宿を世話してやったのは俺だぜ。
松庭   貴様、なぜおりえに近づく。
勝田   ははは。水臭い事をいうなよ。俺とお前は、江戸で机を並べて学んだ仲じゃな
     いか。その親友が出奔して、心配する家族の力になろうというのは、親切さ。
松庭   嘘をつけ。何をたくらんでいる。
勝田   まあ、来いよ。別に席を設けてある。
松庭   何。
勝田   いいから来い。俺も、新選組の隊士と立ち話はできぬ。


――― 勝田、すぐ側の料理屋の小座敷に松庭を連れて入る。
勝田   ここは別に、我々の息がかかった店じゃない。組に知らせても無駄だ。
松庭   ………。
勝田   「たけもと」で怪我をしたそうだな。
松庭   ………。
勝田   あれは、お前たちにしてやられた。何者かがあの店を調べ上げていたらしい。
     こそこそと嗅ぎ廻るのは、残念ながら新選組の方が一枚上手だな。幕府の犬だ
     けに、鼻が利く。
――― 勝田、ふふんと笑う。まさか密偵が松庭当人だとは知らないらしい。
松庭   何が言いたい。
勝田   なあ、清四郎。あんなつまらん仕事はよせ。この日本が異国の脅威にさらされ
     存亡の危機にあるという切迫した時節に、落ち目の幕府の手先となって、五人
     や十人の浪士を追いかけて斬ったところで何になる。その無意味さがわからぬ
     お前でもあるまい。
松庭   ………。
勝田   しょせん、新選組など乱世の野盗同然の、無頼の集まりだ。それよりは、微力
     でも国事の役に立つほうが、男子としてよほどふさわしいとは思わんのか。
松庭   国事……。はは。俺にはそんなもの、関わりがない。
勝田   ほう。
松庭   貴様と論語を読んでいた子供の頃とは違う。俺は、あの苛酷な規律のもとに縛
     られてでもいなければ人としてやっていけぬほど、堕落した男になっている。
勝田   ………。
松庭   無頼でけっこうだ。出世したものだな、遠之進。
勝田   ふ。俺も、お前と江戸の町で遊び歩いていた頃とは、違うさ。
松庭   ………。
勝田   あの頃、俺やお前は共に部屋住みの、いわば日陰の身だった。兄たちの陰に隠
     れて厄介者扱いされ、うまい養子の口にありつくことくらいが望みで、およそ
     男子として立身の手掛かりもない。鬱憤だらけで悪い遊びもし、雑多な人づき
     あいも増え……もっとも今となってはそのつきあいが役に立っているがな。そ
     れに俺の場合、運よく兄が死んでくれたのでな。今では歴とした藩士だ。これ
     からが俺の、男としてのみせどころだと思っている。幸いこの混沌とした時勢
     だ。うまく泳ぎわたってゆきさえすれば、遅れてきたものにも、世に出る機会
     はいくらも転がっている。
松庭   ………。
勝田   清四郎。いや松庭柳一郎、だったな。はっきり言おう。倒幕のために、我々の
     同志に加わらんか。
松庭   馬鹿を言うな。
勝田   むろん、脱退者は斬られるというのは知っている。お前は、新選組隊士のまま
     でいればいい。
松庭   なんだと。
勝田   始めは簡単なことでいい。中で漏れ聞いたことを、そっと知らせてくれればよ
     いのさ。
松庭   間者になれというのか。
勝田   野良犬が、少しはましな目的を持った犬になるだけのことだ。お前はどうせ、
     何かすることが欲しくて新選組に入ったまでのことで、幕府への忠節などはさ
     らさらあるまい。ならば倒幕の目的で働くのも同じことだろう。
松庭   帰る。聞かなかったことにする。
――― 松庭、立ち上がろうとする。
勝田   まあ、待てよ。清四郎。
松庭   その名は、捨てた。
勝田   おりえさんの事が、気にならんかね。
松庭   何っ。
勝田   あれも、お前に似て頑固な娘だ。このまま京に逗留するつもりだろう。
松庭   貴様……おりえをどうする気だ。
勝田   俺は手出しはしないさ。しかし、同志を斬られた新選組の妹と知って、荒っぽ
     い真似をする奴がいないとも限らん。
――― 勝田、薄笑いを浮かべている。
松庭   脅しだな。
勝田   さて、どう受け取るかはお前の勝手さ。
松庭   卑怯な……。
勝田   似たようなものだ。女房子供を死なせておいて、逃げ出したお前に言われたく
     はないな。
松庭   ………。
――― 松庭、刀に手をかける。
勝田   よせよ。こんな所で
佐賀の家来を斬るつもりかね。すぐに人が来るぜ。
松庭   ………。
勝田   何も今日この場で、うんと言えとは言っておらん。おりえさんがしばらく京見
     物でもしている間に、考えるんだな。
松庭   何を。
勝田   安心しろ。俺の遠縁の娘だと言って、回りを守らせている。あの娘は、俺の親
     切を信じきっている。せいぜい、何も知らず京を楽しんでもらうさ。
松庭   ……人質のつもりか。
勝田   さあ……それも、お前しだいだ。
――― 松庭は蒼白になった。身動きを封じられている。



               
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